1813年のカール・ヨハン(7)

デネヴィッツの戦いの夕方にカール・ヨハンはネイ元帥の副官Clouet(クローエ)大佐が 負傷して捕虜になっていると聞いた。 そこで、彼にはネイ元帥付きの大佐にふさわしい敬意を持って必要な手当を行なうように 特別な命令を出 … 続きを読む 1813年のカール・ヨハン(7)

1813年のカール・ヨハン(6)

8月26,27日ドレスデンの戦いの後、ナポレオンはウディーノ元帥の代りに ネイ元帥をベルリン侵攻軍の司令官に任命した。 ネイ元帥が受けた命令は以下の通り。(下図の橙色矢印) 9月4日にWittenbergを出発し、Jüt … 続きを読む 1813年のカール・ヨハン(6)

1813年のカール・ヨハン(5)

8月に休戦が終わり、戦役が再開した。 ナポレオンはベルリンを占領するために南からウディーノ元帥の軍70000人、 西からダブー元帥の軍団25000人を進める計画を立てていた。 ダブー元帥の軍団にはWallmoden中将の … 続きを読む 1813年のカール・ヨハン(5)

1813年のカール・ヨハン(4)

カール・ヨハンとモローがシュトラールズントでカール・ヨハンが置かれている 戦略的位置について議論をした内容を意訳してみた。 モロー:君の補給線は、バルト海、エルベ川、オーデル川の間にある危険なもので、     シュトラー … 続きを読む 1813年のカール・ヨハン(4)

1813年のカール・ヨハン(3)

休戦期間中は戦争準備に追われていたが、アメリカ合衆国から戻ってきたモロー将軍と 9年ぶりに再会した。 約1年前にフィンランドのトゥルクでカール・ヨハンとロシア皇帝が会談した際に モロー将軍を招く事で合意して使者を送った結 … 続きを読む 1813年のカール・ヨハン(3)

1813年のカール・ヨハン(2)

カール・ヨハンとスウェーデン軍は5月18日にシュトラールズントに到着し、 スウェーデン領ポメラニアを回復し始めた。 しかし、指揮下に入るはずのロシア軍とプロシア軍は姿が見えず、悪い知らせが届いた。 5月2日リュッツェンの … 続きを読む 1813年のカール・ヨハン(2)

1813年のカール・ヨハン(1)

3月に英国とスウェーデンの同盟が以下の条件で成立した。 1)スウェーデンはカール・ヨハンの下に30000人の兵士を北ドイツに派遣してフランスと戦う。 2)英国はノルウエー奪取に協力し、毎年100万ポンド*1の支援金を払う … 続きを読む 1813年のカール・ヨハン(1)

1812年のカール・ヨハン(3/E)

6月にナポレオンはロシア遠征を開始した。 8月にはスモレンスクの戦いが行われた。 同じ8月にフィンランドのトゥルクでカール・ヨハンとロシア皇帝は会談を3日間行った。 会談では同盟強化が確認され、主に次の点が議論された。 … 続きを読む 1812年のカール・ヨハン(3/E)

1812年のカール・ヨハン(2)

フランスによるポメラニア占領に対して、ナポレオンは直ぐに服従するものと甘く考えていて、 前回のロシア遠征協力(代償にフィンランド奪還を援助)を再び提案した。 カール・ヨハンはフランスとロシアの平和を願うと返答し、最後に以 … 続きを読む 1812年のカール・ヨハン(2)

1812年のカール・ヨハン(1)

1月にダブー元帥の軍団がスウェーデン領ポメラニア(下図丸枠内)に不意打ち侵攻し占領した。 表向きはフランスの私掠船(スウェーデン商船を獲物にしていた)をスウェーデン政府が差し押さえした事の 報復であるが、実際は2つの目的 … 続きを読む 1812年のカール・ヨハン(1)