大砲の点火口を無効化Spike

ナポレオン戦争時に敵の大砲を一時的に無効化する手段として 大砲の点火口(下図のVent)を釘などで埋めるSpike(釘打ち)がある。 具体的には下図のように釘を点火口に刺してハンマーで打ち付ける。 敵が大砲を奪い返しても … 続きを読む 大砲の点火口を無効化Spike

歩兵の帽子飾りplumeとpompom

plumeとpompomは誰でも着けられるのか、いつでも着けるのかなど 気になったので以下に調査結果を纏めておく。 1.着用できる人   plumeを着用できる人は限られるが、pompomは誰でも着用できる。 (1)将軍 … 続きを読む 歩兵の帽子飾りplumeとpompom

老親衛隊の熊皮帽子について

MustAttackの日記 試訳「La Garde Avance!」ヒストリカルノートにて nagunaguさんが和訳されたものを読ませて頂いた。 その中で「擲弾兵と猟兵がかぶるフサフサした帽子」について調べる必要がある … 続きを読む 老親衛隊の熊皮帽子について

Velites部隊について

MustAttackの日記 試訳「La Garde Avance!」ヒストリカルノートにて nagunaguさんが和訳されたものを読ませて頂いた。 その中でVelitesの注記(猟兵の一種らしい)があったので調べてみた。 … 続きを読む Velites部隊について

carrés ouvertsについて

MustAttackの日記「ワーテルロー戦の親衛隊の方陣について」にて nagunaguさんがcarrés ouvertsについて質問されていたので調べてみた。 結論から言うと「carrés ouvertsを明確に説明し … 続きを読む carrés ouvertsについて

1815年以降のカール・ヨハン(1/E)

1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出してパリに戻り 再び帝位についたとの知らせを受け、第7次対仏大同盟に参加はしたが 軍をヨーロッパ大陸に送ることはしなかった。 ブルボン王朝が復活後にナポレオン関係者の弾圧が始まる … 続きを読む 1815年以降のカール・ヨハン(1/E)

1814年のカール・ヨハン(1/E)

休戦明けに進軍を再開し、デンマークを降伏させた。 1月14日にキール条約が結ばれて、ノルウェーはスウェーデンに割譲され、 代わりにスウェーデン領ポメラニアとリューゲン島はデンマークに割譲された。 念願の目標を達成したので … 続きを読む 1814年のカール・ヨハン(1/E)

1813年のカール・ヨハン(11/E)

ライプツィヒの戦いが終わった後で、カール・ヨハンはデンマーク侵攻の為に北上すると宣言した。 プロシアとオーストリアは同盟軍が弱体化するので反対したが、 それならスウェーデン軍と共にスウェーデン領ポメラニアに引き返して 国 … 続きを読む 1813年のカール・ヨハン(11/E)

アイラウの戦いでのプロシア軍

前回、カール・ヨハンが”アイラウの戦いで大失敗した部隊機動”と指摘した事について考えてみた。 1.アイラウの戦い  プロシア軍がロシア軍の増援として戦場に来た時に、弱体化したロシア軍左翼に配置するように  ロシア軍司令官 … 続きを読む アイラウの戦いでのプロシア軍

1813年のカール・ヨハン(10)

10月13日時点での部隊配置は以下の通り。 ブリュッヒャー大将は自軍の左翼にカールヨハンの北方軍を配置して一緒に進軍して欲しいと依頼したが、 カールヨハンは、その案がアイラウの戦いで大失敗した部隊機動であると指摘し、 ブ … 続きを読む 1813年のカール・ヨハン(10)