10月13日時点での部隊配置は以下の通り。
ブリュッヒャー大将は自軍の左翼にカールヨハンの北方軍を配置して一緒に進軍して欲しいと依頼したが、
カールヨハンは、その案がアイラウの戦いで大失敗した部隊機動であると指摘し、
ブリュッヒャー大将の軍の後方に第2陣として続くと返答した。
結果として16日の戦いには参加せずに、ライプツィヒから30km離れたLansbergにいた。
16日の夜にはブリュッヒャー大将に同行するイギリス軍武官Charles Stewartから
夜行軍でライプツィヒに来るように助言されたが、採用しなかった。
17日は両軍とも回復に当てるとの見込んだ為である。
18日の戦いには参戦し、フランス第7軍団のザクセン兵を多数寝返らせることができた。
19日にはフランス軍が総退却して戦いは終わった。
死傷者はフランス軍 約38000人、同盟軍合計 約52000人で同盟軍の内訳は以下の通り。
・シュヴァルツェンベルク元帥のボヘミア方面軍34000人
・ブリュッヒャー大将のシレジア方面軍12000人
・カール・ヨハンの北方軍3500人(*1)
・ベニグセン大将のポーランド方面軍3000人
*1 北方軍の内訳は以下の通り。
プロシア第3軍団2900人、ロシア軍400人、
スウェーデン軍200人(主に市街地で戦った猟兵で、下図左側の兵士)。
<個人的な感想>
スウェーデン軍を消耗させずにナポレオンを打ち破るという難しい目標を
達成できた事は素晴らしい。
ボヘミア方面軍の死傷者が大きいのは、16日のナポレオンによる攻撃の為と思われる。
やはり、ナポレオンから狙われると大きな損害がでる。
その意味で、ナポレオンの主攻撃を避けるように軍を動かしたカール・ヨハンは賢い。