1807年戦役のベルナドット(1)

 ベルナドットは引き続き左翼を指揮し、重要な次の2都市とロシア軍との連絡路を 遮断する任務も与えられていた。 1)プロシア軍が駐留しているDanzig 2)Rouyer少将指揮のHesse-Darmstadt師団が攻囲中 … 続きを読む 1807年戦役のベルナドット(1)

砲兵出身少将のその後について

少将は軍の砲兵司令官に就任するのが基本である。准将が足りない時には 軍団の砲兵司令官を務める場合もある。次の3人は大陸軍の砲兵司令官に 就任した事がある。 ・Pernety, (Joseph-Marie) ・Ruty, … 続きを読む 砲兵出身少将のその後について

フランス軍砲兵出身の少将

 革命戦争からナポレオン戦争までの期間に少将(General d’ Division)に昇進した人は下記の29人である。 1)徒歩砲兵連隊長経験者14人 名前 誕生年 ナポレオン との年齢差 少将に昇進 した年 戦死した … 続きを読む フランス軍砲兵出身の少将

1806年戦役のベルナドット(10/E)

 リピンを12月23日に出発したベルナドット軍団は23~24日にビエジュン(Biezun)に到着した。 23日にはビエジュンでレストック軍団の先遣隊とグルーシー少将の竜騎兵第2師団とで交戦があり、 プロシア軍は敗北して北 … 続きを読む 1806年戦役のベルナドット(10/E)

1806年戦役のベルナドット(9)

 11月18日までリューベックに留まっていたベルナドットは、対ロシア戦役に参加する為に 19日にベルリンに向け出発した。28日にベルリンに到着し、1日休息してからナポレオンが 待つポズナンに向かい、12月8に到着した。1 … 続きを読む 1806年戦役のベルナドット(9)

1806年戦役のベルナドット(8)

 リューベックの戦いで、ベルナドット軍団はスウェーデン軍の部隊1600人を捕虜にした。 この時の捕虜の扱いが大変良く、スウェーデン軍は大変感謝して帰国後に周りに話した。 この事は、3年後にスウェーデンが皇太子としてベルナ … 続きを読む 1806年戦役のベルナドット(8)

1806年戦役のベルナドット(7)

 リューベックの戦いの後で、ベルナドットは11月8日にナポレオンに捕獲した 51本の軍旗(スウェーデン軍とプロシア軍のもの)を送り、以下の言葉を添えた。 ”陛下、グスタフ・アドルフの軍旗とフリードリッヒ大王の軍旗をご覧に … 続きを読む 1806年戦役のベルナドット(7)

1806年戦役のベルナドット(6)

 イエナ会戦の後、ベルナドット軍団は15日にはハレ方面に進軍して17日に ヴィテンベルグ(Württemberg)中将の軍団とハレ(Halle)で交戦して撃破した。 その後、20日にはエルベ川沿いの町バルビー(Barby … 続きを読む 1806年戦役のベルナドット(6)

1806年戦役のベルナドット(5)

 10月14日は、イエナ・アウエルシュタットの会戦日である。夜行軍して14日の AM11:00にドルンブルクの到着したベルナドット軍団と予備騎兵軍団(半分)は、 ドルンブルク隘路に苦闘して会戦に遅れる事になった。13日か … 続きを読む 1806年戦役のベルナドット(5)

ベルナドットの混乱に対する個人的な疑問と解答(2/E)

前回のつづき   Q4の解答)何故、ダブー元帥はQ3の命令をベルナドット元帥に見せたのか?  1)背景    Q2の背景がある。ベルナドットがダブーの軍団を孤立化させる危険を避けて一緒に   ナウムブルクに留ま … 続きを読む ベルナドットの混乱に対する個人的な疑問と解答(2/E)