1809年戦役のベルナドット(1)
3月にスウェーデンでクーデターが起こり、国王グスタフ4世が追放されて セーデルマンランド公カールが摂政になった。 彼はナポレオンに支持と助言を求めるとともに、フランス軍の北部ドイツ駐留 司令官であるベルナドットに停戦を要 … 続きを読む 1809年戦役のベルナドット(1)
バタイユゲーム、ナポレオン戦争、などについて書いていきます。
指揮官・人物に関するもの。
1809年戦役のベルナドット(1)
3月にスウェーデンでクーデターが起こり、国王グスタフ4世が追放されて セーデルマンランド公カールが摂政になった。 彼はナポレオンに支持と助言を求めるとともに、フランス軍の北部ドイツ駐留 司令官であるベルナドットに停戦を要 … 続きを読む 1809年戦役のベルナドット(1)
ベルナドット王朝とナポレオン家
”ベルナドットの妻”と”ナポレオンの兄ジョセフの妻”が姉妹である事は知っていた。 しかし、”ベルナドットの長男”と”ナポレオンの義理の子ウジェーヌの長女”が 結婚したことは、初めて知った。下記のWEBで見つけた。 ・ベ … 続きを読む ベルナドット王朝とナポレオン家
スウェーデンの紋章とベルナドット
現在、スウェーデンの紋章は下図の通りである。 この紋章の中央にある盾(両脇にライオンがいる)のデザインについて、 下記のWEBで面白い記述を見つけた。 ・Coat of arms of Sweden 上記のWEBから抜 … 続きを読む スウェーデンの紋章とベルナドット
フランス軍の軍団番号
バタイユゲームのワグラムの戦い戦闘序列(フランス軍)には、 8ヶの軍団が記載されている。これを眺めていて、少し気になった 事があったので、調べてみた。きっかけは、第6軍団の司令官が Grenier少将であった事である。 … 続きを読む フランス軍の軍団番号
2つのマッセナ元帥
バタイユゲームのワグラムの戦い戦闘序列には、2つの マッセナ元帥のユニットがある(下図の青枠)。 2つある理由は、特殊ルールのP59に記述されている(下記に抜粋のpdfファイルを貼り付けた)。 ・Marshal Mas … 続きを読む 2つのマッセナ元帥
1808年のベルナドット
1808年の時点で、フランスに敵対していたのは、イギリスとスウェーデンだけであった。 ロシアとデンマークは、フランスと同盟関係にあり、オーストリアとプロシアは中立となっていた。 2月にロシア軍がフィンランドに進攻した … 続きを読む 1808年のベルナドット
1807年戦役のベルナドット(5/E)
7月7,9日にティルジットの和約が結ばれて、第四次対仏大同盟は崩壊し, フランスは下図の地域を手に入れた。 7月14日にナポレオンは、ベルナドットを次の職に任命した。 1)ハンザ同盟3都市(リューベック、ハンブルグ、ブ … 続きを読む 1807年戦役のベルナドット(5/E)
1807年戦役のベルナドット(4)
アイラウ会戦は引き分けに終わり、両軍とも再度冬営に入った。 ベルナドットの軍団は、左翼でDanzigとロシア軍との連絡路を遮断する任務を与えられていた。 下図は、Military History and Atlas o … 続きを読む 1807年戦役のベルナドット(4)
1807年戦役のベルナドット(3)
ナポレオンは、ロシア軍を捕捉できる好機と判断し、大陸軍を北進させた。 しかし、ロシア軍コサックが、ベルティエ元帥がベルナドットに送った伝令を 複数名捕虜にした。ベニグセンはナポレオンの作戦計画を知る事ができたので、 上 … 続きを読む 1807年戦役のベルナドット(3)
1807年戦役のベルナドット(2)
モールンゲンの戦いは、引き分けに終わった。戦力的には互角であったが、 主戦場(下図のMain)では優勢になっていた。しかし、ロシア軍コサック (下図のSub)が、背後に回り込んでモールンゲンの町を占領した。 その為、危 … 続きを読む 1807年戦役のベルナドット(2)