1812年のカール・ヨハン(3/E)

6月にナポレオンはロシア遠征を開始した。 8月にはスモレンスクの戦いが行われた。 同じ8月にフィンランドのトゥルクでカール・ヨハンとロシア皇帝は会談を3日間行った。 会談では同盟強化が確認され、主に次の点が議論された。 … 続きを読む 1812年のカール・ヨハン(3/E)

1812年のカール・ヨハン(2)

フランスによるポメラニア占領に対して、ナポレオンは直ぐに服従するものと甘く考えていて、 前回のロシア遠征協力(代償にフィンランド奪還を援助)を再び提案した。 カール・ヨハンはフランスとロシアの平和を願うと返答し、最後に以 … 続きを読む 1812年のカール・ヨハン(2)

1812年のカール・ヨハン(1)

1月にダブー元帥の軍団がスウェーデン領ポメラニア(下図丸枠内)に不意打ち侵攻し占領した。 表向きはフランスの私掠船(スウェーデン商船を獲物にしていた)をスウェーデン政府が差し押さえした事の 報復であるが、実際は2つの目的 … 続きを読む 1812年のカール・ヨハン(1)

1810年から1811年のカール・ヨハン(3/E)

フィンランドを巡るロシアとの関係について、カール・ヨハンは フィンランドの奪還は国力的に無理と考えていた。 その情報を得たロシア皇帝アレクサンドル1世から友好の密使が来て、 両国首脳の友好関係が密かに始まった。 フィンラ … 続きを読む 1810年から1811年のカール・ヨハン(3/E)

1810年から1811年のカール・ヨハン(2)

摂政になったカール・ヨハンにナポレオンから難題が出された。 初めは次のナポレオンからの要求を中立であるからと拒否した。 1)フランス陸軍に1ケ連隊を提供。 2)フランス海軍に2000人の水夫を提供。 この件に関しては、ナ … 続きを読む 1810年から1811年のカール・ヨハン(2)

1810年から1811年のカール・ヨハン(1)

スウェーデンに着いたベルナドットはカール・ヨハンと名前を変えて スウェーデン人として生きることになった。(47歳) 国王カール13世は62歳であったが病気があり、皇太子のカール・ヨハンが 摂政として国王を代行する事になっ … 続きを読む 1810年から1811年のカール・ヨハン(1)

カール・ヨハンの政治・軍歴

参考にできる下記の資料が見られるようになったので、 スウェーデン人になってからのベルナドットの政治・軍歴をメモする事にした。 順次追加していく予定である。 ・Bernadotte, prince and king : 1 … 続きを読む カール・ヨハンの政治・軍歴

アウエルシュタットの戦い序盤でプロシア王は前線にいたのか?

アウエルシュタットの戦い開始位置で引用したCampagne de Prusse, 1806のp674に 記載があったように”国王は自らその場に駆けつけ、先頭を切って進軍した。”のは本当か調べてみた。 1.結論   他の資 … 続きを読む アウエルシュタットの戦い序盤でプロシア王は前線にいたのか?

1810年のベルナドット(3/E)

9月7日にベルナドットは、次の手紙をナポレオンに送った。 ”陛下にお知らせします。 8月21日にオレブロで開催された議会が私をスウェーデン王位継承者に選出しました。 国王が選挙を発表した書簡を陛下にお見せします。 今、私 … 続きを読む 1810年のベルナドット(3/E)

1810年のベルナドット(2)

スウェーデン軍人のグループは、ベルナドットを跡継ぎにする活動を継続しており、 ベルナドットも本格的に活動を開始した。 跡継ぎになれたら、次の事を行うとスウェーデンに約束した。 1)財務省に800万フラン(約192億円)を … 続きを読む 1810年のベルナドット(2)