ジョミニとネイ
ジョミニはネイの参謀、最終的には参謀長として2回支えた。 その概要を少し調べてみた。 1)1回目は1805年8月頃から1809年10月まで。 参加前に著作として”大軍事作戦論”の初めの2巻を出版しており、 ネイは高く … 続きを読む ジョミニとネイ
バタイユゲーム、ナポレオン戦争、などについて書いていきます。
指揮官・人物に関するもの。
ジョミニとネイ
ジョミニはネイの参謀、最終的には参謀長として2回支えた。 その概要を少し調べてみた。 1)1回目は1805年8月頃から1809年10月まで。 参加前に著作として”大軍事作戦論”の初めの2巻を出版しており、 ネイは高く … 続きを読む ジョミニとネイ
ネイの指揮官能力(バタイユゲーム)
バタイユゲームでのネイの指揮官能力(ボーナス値)について、少し調べてみた。 参考用に騎兵軍団指揮官のグルーシー元帥、ナンスーティ少将の騎兵、士気値も調べた。 ネイ グルーシー ナンスーティ 会戦名 歩 … 続きを読む ネイの指揮官能力(バタイユゲーム)
ネイとベルナドット(その3)
ナポレオンが皇帝になってからは、大陸軍の元帥として各々軍団を 指揮していたが、主要会戦で一緒になる事はなかった。 会戦名 ベルナドット ネイ 1805年 アウステルリッツ 参加 不参加 1806年 イエナ … 続きを読む ネイとベルナドット(その3)
ネイとベルナドット(その2)
ネイは少将辞退の際に、上司のベルナドットにも手紙を書いている。 部下と言っても、前衛部隊長としてベルナドットの司令部から離れて いる事が多い為と思われる。その手紙を意訳してみた。 ”謹んで将軍閣下に申 … 続きを読む ネイとベルナドット(その2)
ネイとベルナドット
ネイは革命戦争の時代に2回ベルナドットの部下だったことがある。 1回目はサンブル・エ・ミューズ軍で、1794年9月から11月まで。 ベルナドット准将:クレベール師団の旅団長兼左翼指揮官 ネイ大佐:遊撃隊長兼ベルナドット … 続きを読む ネイとベルナドット
革命戦争は昇進が早いか
フランス革命の戦争では昇進が早いか、ナポレオン、ベルナドット、 ネイの3人について少し調べてみた。 出来事、昇進理由(大尉を除く) Bernadotte 1763年生 Napoleon 1769年生 Ney 1 … 続きを読む 革命戦争は昇進が早いか
ナポレオン時代のヴィゴ=ルシヨン
ナポレオン戦線従軍記(中公文庫)の著者、フランソワ・ヴィゴ=ルシヨンは 1837年に大佐で退役したとの事である。この人の略歴と上官評を簡単に 纏めてみた。 <略歴> ナポレオン時代には、最終的に中佐であり … 続きを読む ナポレオン時代のヴィゴ=ルシヨン
ナポレオン1815年の求心力
エルバ島から復帰したナポレオンに元帥達は、どう対応したのか 少し調べてみた。25人(グルーシーは復帰後の元帥任命なので 除外)の内訳は、次の通り。 1)死亡 4人(ベシエール、ランヌ、ポニャトフスキー、ベルティエ) 2 … 続きを読む ナポレオン1815年の求心力
貴族の復活第2段(軍人編)
ナポレオンは、1807年から軍人達に爵位を与えはじめたが、 本格化したのは1808年になってから。爵位は世襲制であるので、 貰える年金と共に嫡子に受け継がれる。但し、領地はなく爵位のみ。 年金の額は、以 … 続きを読む 貴族の復活第2段(軍人編)
貴族の復活第1段(身内編)
ナポレオンは皇帝即位に伴い、兄弟姉妹をプリンスにしていたが、 1806年の3月から本格的に身内に領地を与えるようになった。これは、 アウステルリッツの戦いの後に結ばれたプレスブルクの和約により 領土が確定した事があると … 続きを読む 貴族の復活第1段(身内編)