元帥の出身方面軍

 26人の元帥の出身方面軍について、少し調べて見た。 1796年の所属方面軍を調べたものが下記の表である。 1796年はドイツ(サンブル・エ・ミューズ、ライン・エ・モーゼル)方面が主力で、 イタリア方面は脇役であった。 … 続きを読む 元帥の出身方面軍

兵科による年収の違い

 ナポレオン戦争時の兵科による年収の違いが気になったので、 少し調べて見た。連隊長、大隊長、中隊長をサンプルに纏めた ものが下記の表になる。年収の多い順に並べたもの。 兵科 大佐(1級) 少佐 大尉(1級) 憲兵 168 … 続きを読む 兵科による年収の違い

ダイニングの戦いで誉められた将校達

 1796年のダイニングの戦いでは、ベルナドット師団の将校も名を上げている。  ベルナドットが総裁政府に”勇猛な”として報告した将校は次の9人。  ・モラン(Morand)少佐25歳:第88半旅団大隊長。後に師団長として … 続きを読む ダイニングの戦いで誉められた将校達

1796年戦役のベルナドット(13/E)

 マルソーの死後、サンブル・エ・ミューズ軍はライン川の西岸に戻り、 1796年の戦役は終了した。まもなく、ジュールダンは、自ら司令官辞任を 申し出て受理される。政府に出した手紙を意訳してみた。 1)”公益の為には、私が司 … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(13/E)

1796年戦役のベルナドット(12)

 9/18から19もベルナドットとマルソー師団は側衛を続けて、9/19には アルテンキルヒェンに到着した。ここでマルソーは狙撃されて重傷を負う。 駆けつけて来たベルナドットと次のような会話をした。 マルソー:友よ、行って … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(12)

1796年戦役のベルナドット(11)

 ベルナドットが復帰したのは9/11で、師団は軍の右翼としてラーン川沿いのギーセンに 布陣していた。西側にはマルソー師団がおり、9/13には2つの師団でオーストリア軍の 攻撃を撃退した。その後、ジュールダンは自軍の左翼を … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(11)

1796年戦役のベルナドット(10)

 ベルナドットとジュールダンの本隊は、8/27にフォルヒハイムで合流したが、 ベルナドットは、すぐに退却路の安全確保の為に、再び単独任務を受けた。 8/28にはバンベルクに到着。ここからブルクエーブラハにて援軍と共に オ … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(10)

主な軍管理委員

 軍管理委員の経験者は、回想録などを残していないので、管理の実態が 良く分からない。主な人物を調べて見た。 1)ダル(Pierre Daru)  革命戦争からナポレオン戦争まで関わった人で、この人が回想録を書いて くれた … 続きを読む 主な軍管理委員

1796年戦役のベルナドット(9)

 ノイマルクトから北に後退したベルナドットは、西に移動してニュルンベルグに 入った。そこで8/24にオーストリア軍と再度交戦した。  一方、ジュールダンの本隊は、モローが来ないと判断してナーブ川から後退し、 アンベルクに … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(9)

1796年戦役のベルナドット(8)

 23日にノイマルクトで再びカール大公のオーストリア軍と交戦した。 この時カール大公は、初めに砲兵による大規模射撃を行った。歩兵 による攻撃には時間を掛けて準備していたので、ベルナドットは、 総攻撃を待つのは得策でないと … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(8)