1797年戦役のベルナドット(4)
グラディスカ要塞の降伏後、ベルナドット師団は再び前衛としてゴリツィアに向かい、 オーストリア軍の後衛と交戦しながら3月21日にはゴリツィアに入った。 ここで、右翼は2つに分かれ、ナポレオンとセリエ師団は北上してクラーゲ … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(4)
バタイユゲーム、ナポレオン戦争、などについて書いていきます。
指揮官・人物に関するもの。
1797年戦役のベルナドット(4)
グラディスカ要塞の降伏後、ベルナドット師団は再び前衛としてゴリツィアに向かい、 オーストリア軍の後衛と交戦しながら3月21日にはゴリツィアに入った。 ここで、右翼は2つに分かれ、ナポレオンとセリエ師団は北上してクラーゲ … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(4)
1797年戦役のベルナドット(3)
タリアメント川渡河戦の翌日には前衛師団として進軍を再開し、2日後の19日朝には 57km離れたグラディスカ要塞に到着した。1日当たり28.5kmになるので、やや早い進軍である。 グラディスカ要塞には約3000人のオース … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(3)
1797年戦役のベルナドット(2)
タリアメント川は川幅が約400mあり、対岸にはオーストリア軍が布陣しており、 橋もなかった。そこで、ナポレオンは、次のような計略を使った。 <欺瞞> 丁度お昼だったので、敵の射撃距離外に兵士を退却させて昼食の準備を … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(2)
1797年戦役のベルナドット(1)
イタリア方面軍は3つに分かれて進攻し、左翼20000人はジュベール将軍33歳、 中央23000人はマッセナ将軍38歳、右翼20000人はナポレオン26歳が直接指揮した。 ベルナドット師団は右翼の前衛として3月11日にパ … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(1)
ベルティエとベルナドットの初対面
ナポレオンと同じく、1797年3月にパドバにて初めて対面した。 その時に、ベルティエとベルナドットの間で、次の2件のやり取りが あったとの事。 1)ミラノでのデュプイ大佐とベルナドットとの口論について(*1)の会話。 … 続きを読む ベルティエとベルナドットの初対面
ナポレオンとベルナドットの初対面
1797年3月にパドバにて初めて対面した。その時の、相手の印象は 次の通りだったとの事。 1)ナポレオンから見たベルナドット 古き良き騎士道に共和主義を加えたものを信奉している男である。 2)ベルナドットから見たナポ … 続きを読む ナポレオンとベルナドットの初対面
ベルナドット部隊のイタリアへの行軍
1797年1月にコブレンツを出発して、3月にパドヴァ(ナポレオンの司令部)に に到着するまで、2万人が約1400kmを約2ヶ月で行軍した。1日当たり約24kmで、 荷馬車を伴う平均速度3kmから換算して1日8時間となり … 続きを読む ベルナドット部隊のイタリアへの行軍
ベルナドットはイタリア方面軍へ異動
1797年1月にベルナドットは、イタリア方面軍へ異動になった。1796年の11月から 12月にかけて、ナポレオンは政府に増援を要請していたので、その回答である。 ナポレオンは指揮官について、以下のように条 … 続きを読む ベルナドットはイタリア方面軍へ異動
フランス指揮官の制服(ナポレオン戦争)
ナポレオン戦争時代のフランス指揮官の制服について、気になったので少し調べて見た。 1)ナポレオン 有名なのは、下図のように猟騎兵大佐のジャケット(暗い緑)の上にグレーのコートを 羽織り、片手をヴェストに入れているポー … 続きを読む フランス指揮官の制服(ナポレオン戦争)
1805年師団長の出身方面軍
1805年8月 大陸軍師団長の出身方面軍について、少し調べて見た。 ナポレオンが皇帝になって初めて編成した大陸軍なので、師団長の人選 にも考えたと思われる。 1796年の所属方面軍を調べたものが下記の表である。 合 … 続きを読む 1805年師団長の出身方面軍