ベルナドットのパリ派遣(5)

ベルナドットの報告書の続き。 ”今は全ての秩序を取り戻す時です。軍は、あるべき地位を取り戻しました。 軍の精神は考慮されるようになり、少なくとも恐れられています・・・。 共和国を強化する良い機会でした。もし、この機を逃せ … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(5)

ベルナドットのパリ派遣(4)

 パリでは、バラス達がオージェローではなく、ベルナドットに軍事クーデターの指揮を 執って貰うように勧誘したが断られた。結局、オージェローが9/4に12000人の兵士を 連れて五百人会に乗り込み、王党派のメンバーを逮捕した … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(4)

ベルナドットのパリ派遣(3)

ベルナドットの報告書の続き。 ”五百人会の警護を指揮する将軍に3人が候補になっています。クレベール、ドゼー、セリエです。 このような職は3人に対して敬意を欠くものだと誰もが認めています。クレベールは、そんな職は 受けませ … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(3)

ベルナドットのパリ派遣(2)

ベルナドットの報告書の続き。 ”数人の代議士から五百人会には王位の復権を図る派閥があると聞きました。 一方では、それに積極的に反対する派閥もあるようです。彼らの思いが実現したなら、 恐ろしい動乱が起こるでしょう。また、そ … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(2)

ベルナドットのパリ派遣(1)

 7月末にベルナドットは、前年のリヴォリの戦いで捕獲した軍旗を政府に送る名目で パリに派遣される事が決まった。その以前には、オージェローとナポレオンの副官 ラヴァレット(Lavalette)がナポレオンの代理でパリに来て … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(1)

ベルナドットの応援演説拒否

<背景>  当時のフランス立法府は、上院に当たる元老会(定数250人)と下院に当たる五百人会 (定数500人)に分かれ、毎年1/3が改選された。1797年の五百人会選挙では王党派が 多数選ばれて、次回の選挙で過半数を取る … 続きを読む ベルナドットの応援演説拒否

ベルナドットのヴェネツィア駐留

 レオーベンの和約は、一時的な停戦であった。その後、6ヶ月間も会談が行われた。 その間、ヴェネツィア共和国はフランスが占領し、フリウリ地方(下図の赤い部分)は ベルナドットが統治し、3ヶ師団の指揮を任されてウディネに司令 … 続きを読む ベルナドットのヴェネツィア駐留

ベルナドット師団とマッセナ師団の騒動

 レオーベンの和約が成立し、イタリア方面軍はオーストリア領を去る事になった。 ナポレオンの命令により、ベルナドット師団とマッセナ師団はリュブリャナ経由で 移動する事になったが、常にベルナドット師団が先頭でマッセナ師団が続 … 続きを読む ベルナドット師団とマッセナ師団の騒動

1797年戦役のベルナドット(5)

 クラーゲンフルトから更にナポレオンの司令部のあるユーデンブルクまで 約90kmを2.5日間で行軍し、4月7日に到着。1日当たり36kmなので、 かなり早い。ここには、オーストリアから全権大使が来て、和平交渉が始まってい … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(5)

イドリア水銀鉱山の押収

 税務官のRomain Hamelinによれば、1797年3月に押収した100から 120億円分の水銀のうち、以下のものをナポレオンと側近、将軍達に ボーナスとして分配したとの事。なお、著名な軍人以外は記憶にないらしい。 … 続きを読む イドリア水銀鉱山の押収