大使の随行員

 ベルナドットは、随行員として将軍付の副官であるヴィラッツ大尉、モウラン大尉の 他に旧参謀長であったサラザン准将と旧参謀副官で准将に昇進したミレルを要望した。 しかし、総裁政府から大使に将軍は同行できないと断られ、代わっ … 続きを読む 大使の随行員

大使赴任時の背景

 べルナドットがフランス大使としてウィーンに赴任する時の、フランスと オーストリア間には次のような背景があった。 1)フランス革命政府のオーストリア帝国に対する宣戦布告(1792年4月)から 5年以上も経過し、その間は外 … 続きを読む 大使赴任時の背景

ベルナドットのウィーン大使任命

 ナポレオンが、ベルナドットのイタリア方面軍司令官任命撤回を 画策している中で、1797/12/28に発生したローマ暴動の知らせが届いた。 ローマ大使は、ナポレオンの兄ジョゼフであり、暴動の中でフランスの デュフォ(Du … 続きを読む ベルナドットのウィーン大使任命

ベルナドットのイタリア方面軍司令官任命

 ベルナドットがイオニア諸島の司令官を受ける旨の手紙を出してから、 1週間も経たないうちに、政府はナポレオンの後任としてベルナドットを イタリア方面軍司令官にする事を決定した。これは、ベルナドットを ナポレオンの対抗馬と … 続きを読む ベルナドットのイタリア方面軍司令官任命

ベルナドットの転属願い(2/E)

 総裁のバラスは、ベルナドットの手紙を癇癪を破裂させたものか、 間接的に他の職を求めたものと考えた。バラスはベルナドットを クレベールの弟子と思っており、師匠の反抗的態度には慣れていた。 しかし、政府としては、イギリス方 … 続きを読む ベルナドットの転属願い(2/E)

ベルナドットの転属願い(1)

 師団の解体でナポレオンに嫌気がさしたベルナドットは、 11月末には総裁政府に次の転属を希望した。 1)インド洋のモーリシャス島かレユニオン島の司令官 2)ギリシャのイオニア諸島の司令官 3)歩兵検閲官 4)ポルトガル方 … 続きを読む ベルナドットの転属願い(1)

知事からベルナドットに届いた手紙

 ベルナドットが他の方面軍に異動する事が公表されてから、占領・統治していた フリウリ地方の知事(ヴェネチア人)からベルナドットに手紙が届いた。 ”貴方に申し出のあった栄光の新しい領域は、我々が貴方を失う事を 慰めてはくれ … 続きを読む 知事からベルナドットに届いた手紙

第15軽半旅団への別れの手紙

 ”残念だが、君達と別れる事になった。私はイギリス方面軍に異動するが、 君達と共にある強みを奪われた。君達はディリエ将軍の下に配属されるが、 彼は賢明で用心深い将校である。 君達の名声を維持して欲しい。それには、私が要求 … 続きを読む 第15軽半旅団への別れの手紙

ベルナドット師団の解体

 10/18にカンポ・フォルミオ条約が締結され、正式にオーストリアと休戦となった。 その後、イタリア方面軍は大部分がイギリス方面軍(司令官はナポレオン)に合流 することになり、11/9に再編成された。 各師団とも解体され … 続きを読む ベルナドット師団の解体

ナポレオンとベルナドットの会談(3)

 庭園の会談の続き。 【ライン軍とイタリア方面軍について】  ベルナドット:イタリアでの勝利は過大評価である。  ナポレオン:ドイツでの勝利は、オーストリアがミスしたお陰である。   【ナポレオンが、ベルナドッ … 続きを読む ナポレオンとベルナドットの会談(3)