1796年戦役のベルナドット(11)
ベルナドットが復帰したのは9/11で、師団は軍の右翼としてラーン川沿いのギーセンに 布陣していた。西側にはマルソー師団がおり、9/13には2つの師団でオーストリア軍の 攻撃を撃退した。その後、ジュールダンは自軍の左翼を … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(11)
バタイユゲーム、ナポレオン戦争、などについて書いていきます。
1796年戦役のベルナドット(11)
ベルナドットが復帰したのは9/11で、師団は軍の右翼としてラーン川沿いのギーセンに 布陣していた。西側にはマルソー師団がおり、9/13には2つの師団でオーストリア軍の 攻撃を撃退した。その後、ジュールダンは自軍の左翼を … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(11)
1796年戦役のベルナドット(10)
ベルナドットとジュールダンの本隊は、8/27にフォルヒハイムで合流したが、 ベルナドットは、すぐに退却路の安全確保の為に、再び単独任務を受けた。 8/28にはバンベルクに到着。ここからブルクエーブラハにて援軍と共に オ … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(10)
ナポレオン戦争の軍管理委員
ナポレオン戦争では、軍管理委員の補助として新しく評価監査員 (inspecteurs aux revues)が作られ、管理組織は大きくなった。 評価監査員は、軍管理委員の下で軍の経理を主に担当する。 また、軍管理委員と … 続きを読む ナポレオン戦争の軍管理委員
主な軍管理委員
軍管理委員の経験者は、回想録などを残していないので、管理の実態が 良く分からない。主な人物を調べて見た。 1)ダル(Pierre Daru) 革命戦争からナポレオン戦争まで関わった人で、この人が回想録を書いて くれた … 続きを読む 主な軍管理委員
革命戦争の軍管理委員
革命戦争の軍管理委員(commissaires des guerres)の規模について、 気になったので少し調べてみた。 軍管理委員は1794年3月7日の法令で以下のように決められた。 なお、軍の指揮下にはなく、全て政 … 続きを読む 革命戦争の軍管理委員
1796年戦役のベルナドット(9)
ノイマルクトから北に後退したベルナドットは、西に移動してニュルンベルグに 入った。そこで8/24にオーストリア軍と再度交戦した。 一方、ジュールダンの本隊は、モローが来ないと判断してナーブ川から後退し、 アンベルクに … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(9)
1796年戦役のベルナドット(8)
23日にノイマルクトで再びカール大公のオーストリア軍と交戦した。 この時カール大公は、初めに砲兵による大規模射撃を行った。歩兵 による攻撃には時間を掛けて準備していたので、ベルナドットは、 総攻撃を待つのは得策でないと … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(8)
1796年戦役のベルナドット(7)
ベルナドットは21日にノイマルクト南東9kmのダイニングまで進出して、 ここに防衛ラインを引いた。カール大公の本隊がダイニングに到着し、 攻撃を開始したのは22日である。戦いは夜明けから夜10時まで続いた。   … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(7)
1796年戦役のベルナドット(6)
ベルナドットからカール大公の接近連絡を受けた時のジュールダンの本隊は、 下図のように東側に突出してヴァルテンスレーベン将軍のオーストリア軍と ナーブ川を挟んで対峙していた。 ジュールダンは、モローに手紙を送って来援を … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(6)
1796年戦役のベルナドット(5)
8月に入ると更に東に進攻し、ベルナドット師団は10日にはニュルンベルグを占領。 ジュールダンの本隊は、ニュルンベルグに到着に東へ向かい、アンベルグ経由で ナーブ川まで進出。ここで、オーストリア軍が戦線を保持した。 ベル … 続きを読む 1796年戦役のベルナドット(5)