ベルナドットのパリ派遣(1)

 7月末にベルナドットは、前年のリヴォリの戦いで捕獲した軍旗を政府に送る名目で パリに派遣される事が決まった。その以前には、オージェローとナポレオンの副官 ラヴァレット(Lavalette)がナポレオンの代理でパリに来て … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(1)

ベルナドットの応援演説拒否

<背景>  当時のフランス立法府は、上院に当たる元老会(定数250人)と下院に当たる五百人会 (定数500人)に分かれ、毎年1/3が改選された。1797年の五百人会選挙では王党派が 多数選ばれて、次回の選挙で過半数を取る … 続きを読む ベルナドットの応援演説拒否

ベルナドットのヴェネツィア駐留

 レオーベンの和約は、一時的な停戦であった。その後、6ヶ月間も会談が行われた。 その間、ヴェネツィア共和国はフランスが占領し、フリウリ地方(下図の赤い部分)は ベルナドットが統治し、3ヶ師団の指揮を任されてウディネに司令 … 続きを読む ベルナドットのヴェネツィア駐留

ベルナドット師団とマッセナ師団の騒動

 レオーベンの和約が成立し、イタリア方面軍はオーストリア領を去る事になった。 ナポレオンの命令により、ベルナドット師団とマッセナ師団はリュブリャナ経由で 移動する事になったが、常にベルナドット師団が先頭でマッセナ師団が続 … 続きを読む ベルナドット師団とマッセナ師団の騒動

1797年戦役のベルナドット(5)

 クラーゲンフルトから更にナポレオンの司令部のあるユーデンブルクまで 約90kmを2.5日間で行軍し、4月7日に到着。1日当たり36kmなので、 かなり早い。ここには、オーストリアから全権大使が来て、和平交渉が始まってい … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(5)

イドリア水銀鉱山の押収

 税務官のRomain Hamelinによれば、1797年3月に押収した100から 120億円分の水銀のうち、以下のものをナポレオンと側近、将軍達に ボーナスとして分配したとの事。なお、著名な軍人以外は記憶にないらしい。 … 続きを読む イドリア水銀鉱山の押収

1797年戦役のベルナドット(4)

 グラディスカ要塞の降伏後、ベルナドット師団は再び前衛としてゴリツィアに向かい、 オーストリア軍の後衛と交戦しながら3月21日にはゴリツィアに入った。 ここで、右翼は2つに分かれ、ナポレオンとセリエ師団は北上してクラーゲ … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(4)

1797年戦役のベルナドット(3)

 タリアメント川渡河戦の翌日には前衛師団として進軍を再開し、2日後の19日朝には 57km離れたグラディスカ要塞に到着した。1日当たり28.5kmになるので、やや早い進軍である。 グラディスカ要塞には約3000人のオース … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(3)

1797年戦役のベルナドット(2)

 タリアメント川は川幅が約400mあり、対岸にはオーストリア軍が布陣しており、 橋もなかった。そこで、ナポレオンは、次のような計略を使った。 <欺瞞>  丁度お昼だったので、敵の射撃距離外に兵士を退却させて昼食の準備を … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(2)

1797年戦役のベルナドット(1)

 イタリア方面軍は3つに分かれて進攻し、左翼20000人はジュベール将軍33歳、 中央23000人はマッセナ将軍38歳、右翼20000人はナポレオン26歳が直接指揮した。 ベルナドット師団は右翼の前衛として3月11日にパ … 続きを読む 1797年戦役のベルナドット(1)