ベルナドット師団の解体
10/18にカンポ・フォルミオ条約が締結され、正式にオーストリアと休戦となった。 その後、イタリア方面軍は大部分がイギリス方面軍(司令官はナポレオン)に合流 することになり、11/9に再編成された。 各師団とも解体され … 続きを読む ベルナドット師団の解体
バタイユゲーム、ナポレオン戦争、などについて書いていきます。
ベルナドット師団の解体
10/18にカンポ・フォルミオ条約が締結され、正式にオーストリアと休戦となった。 その後、イタリア方面軍は大部分がイギリス方面軍(司令官はナポレオン)に合流 することになり、11/9に再編成された。 各師団とも解体され … 続きを読む ベルナドット師団の解体
ナポレオンとベルナドットの会談(3)
庭園の会談の続き。 【ライン軍とイタリア方面軍について】 ベルナドット:イタリアでの勝利は過大評価である。 ナポレオン:ドイツでの勝利は、オーストリアがミスしたお陰である。 【ナポレオンが、ベルナドッ … 続きを読む ナポレオンとベルナドットの会談(3)
ナポレオンとベルナドットの会談(2)
ナポレオンは、滞在しているパッシリアーノの夕食にベルナドットを招待した。これは、 前回の会談で良い印象を得た為と思われる。 ベルナドットは早く来るようにと言われたので、文字通り5時の夕食に対して3時には到着した。 しか … 続きを読む ナポレオンとベルナドットの会談(2)
ナポレオンとベルナドットの会談(1)
ナポレオンはパッシリアーノ滞在していたが、ある日ウディネに来て、ベルナドットと話をした。 1)長引いている和平交渉について、ナポレオンから尋ねられた際の返答。 総裁政府の命令は、戦争を再開する為の口実を見つける事である … 続きを読む ナポレオンとベルナドットの会談(1)
ヴィクトールとベルナドット部隊
ベルナドットがパリに派遣されている間、臨時の師団長になっていたのは、 ヴィクトール少将であった。彼は、ベルナドットが南方軍司令官になるとの噂を 聞いて、師団の兵士達に後任には自分がなるだろうと言ったが、兵士達は 沈黙し … 続きを読む ヴィクトールとベルナドット部隊
ベルナドットのパリ派遣(6/E)
バラス達は、パリに居るベルナドットに南方軍司令官の職を提案した。南方軍は 4ヶ師団を持っていたが、マルセイユを中心に混乱状態にあった。ベルナドットは、 9/27に断りの手紙を書いた。 ”総裁閣下、貴方は私を信頼して指揮 … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(6/E)
ベルナドットのパリ派遣(5)
ベルナドットの報告書の続き。 ”今は全ての秩序を取り戻す時です。軍は、あるべき地位を取り戻しました。 軍の精神は考慮されるようになり、少なくとも恐れられています・・・。 共和国を強化する良い機会でした。もし、この機を逃せ … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(5)
ベルナドットのパリ派遣(4)
パリでは、バラス達がオージェローではなく、ベルナドットに軍事クーデターの指揮を 執って貰うように勧誘したが断られた。結局、オージェローが9/4に12000人の兵士を 連れて五百人会に乗り込み、王党派のメンバーを逮捕した … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(4)
ベルナドットのパリ派遣(3)
ベルナドットの報告書の続き。 ”五百人会の警護を指揮する将軍に3人が候補になっています。クレベール、ドゼー、セリエです。 このような職は3人に対して敬意を欠くものだと誰もが認めています。クレベールは、そんな職は 受けませ … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(3)
ベルナドットのパリ派遣(2)
ベルナドットの報告書の続き。 ”数人の代議士から五百人会には王位の復権を図る派閥があると聞きました。 一方では、それに積極的に反対する派閥もあるようです。彼らの思いが実現したなら、 恐ろしい動乱が起こるでしょう。また、そ … 続きを読む ベルナドットのパリ派遣(2)