陸軍大臣ベルナドット(2)

 軍隊が最も要求している食べ物、衣服、物資、賃金に応えるにはお金が必要である。 ベルナドットは、新たに任命された財務大臣のランデ(Robert Lindet)にお金の引き出しを 直談判したが、丁重に断られた。それに激高し … 続きを読む 陸軍大臣ベルナドット(2)

陸軍大臣ベルナドット(1)

 普通は無名の文民か軍人が任命される地位に有名で活動的な軍人が登用されたので、 将校や兵士には気付け薬のような効果があった。将軍達は、賛否の2派に分かれた。 例えば、ジュールダンとジュベールは喜び、マッセナとマルボ(父親 … 続きを読む 陸軍大臣ベルナドット(1)

ベルナドットの陸軍大臣就任

 総裁政府はクーデターにより権力を握っているが、次の問題があり苦しい立場にあった。 1)憲法により行政権と立法権が独立しており、総裁政府と議会は一体化していない。 2)戦争の状況が次のように良くない。  A)イタリア、ス … 続きを読む ベルナドットの陸軍大臣就任

ベルナドット休養中のフランス政治情勢

 ベルナドットは、監視軍司令官の辞任後ジンマーン(Gimmern:下図)にある山荘(副官メゾン大佐の 義父が保有)にて約1.5ヶ月休養し、1799年5月末にパリに帰って来た。 その間のフランス政治情勢は以下のようなもので … 続きを読む ベルナドット休養中のフランス政治情勢

監視軍司令官のベルナドット

 イタリア方面軍司令官を辞退した後に、ベルナドットは、監視軍の司令官になった。 監視軍の役目はジュールダンのドナウ方面軍の左翼に位置し支援する為のもので、 右翼はマッセナのヘルヴェティア(スイス)方面軍が支援する。 この … 続きを読む 監視軍司令官のベルナドット

軍務に復帰(マインツ方面軍)とイタリア方面軍司令官の辞退

 ラシュタット会議が不調に終わりそうで、総裁政府は戦争の準備を始めた為、 ベルナドットは1798/10/20マインツ方面軍の左翼指揮官に任命され、ギーセンに向かった。 方面軍司令官はジュールダンであり、約2年ぶりにドイツ … 続きを読む 軍務に復帰(マインツ方面軍)とイタリア方面軍司令官の辞退

ベルナドットの結婚

 無職になったベルナドットは、パリの社交界で主流になりつつあった ジョセフ・ボナパルト(30歳)のパーティーに顔を出すようになった。 ここでデジレ・クラリーと知り合い、1798/8/17に結婚した。 ベルナドットは35歳 … 続きを読む ベルナドットの結婚

三色旗事件のフランス側対応(3/E)

 総裁政府は、事件に対する態度を曖昧にしたままにしていた。5/24にパリに 着いたベルナドットは、タレイランから明快な補償はできないと伝えられた。(*1) (*1)ベルナドットの扱いが、事件に対する政府の態度になる為、明 … 続きを読む 三色旗事件のフランス側対応(3/E)

三色旗事件のフランス側対応(2)

 事態が思った以上に深刻なものであり、戦争の危機と国の名誉とのジレンマに 悩んだ総裁政府は、ナポレオンを全権大使としてオーストリア側とラシュタットで 交渉する事にした。オーストリア側は、この柔軟な態度に喜び(*1)、外務 … 続きを読む 三色旗事件のフランス側対応(2)

三色旗事件のフランス側対応(1)

 ウィーンを去ったベルナドットは、4/23にラシュタットに到着。ここに滞在して、 事件対応の承認とパリ帰還を求めた。並行してウィーンから直接パリに向かった ヴィレ・フォヴィルとマレホスキーは、4/23に到着して事件の詳細 … 続きを読む 三色旗事件のフランス側対応(1)