ウルム戦役のベルナドット(2)

 オーストリア軍の予想を超える早さで17万8千人のフランス軍がドイツ南部に集結した。 オーストリア軍は7万2千人で戦力的に劣勢となったが、後退せずに北は ドナウ川、西はイラー川で防衛し、ロシア軍の増援7万人を待つことにし … 続きを読む ウルム戦役のベルナドット(2)

ウルム戦役のベルナドット(1)

 イギリス本土への侵攻を諦めたナポレオンは、イギリス遠征軍にハノーファー駐留軍を 加えた”大陸軍”を編成し、ドイツ南部に侵攻したオーストリア軍に向かった。 9月1日にハノーファーを出発したベルナドットの軍団(第1軍団)は … 続きを読む ウルム戦役のベルナドット(1)

イギリス遠征軍から外れたベルナドット

 1805年4月に第3次対仏大同盟が結成され、次の主要国がフランスへ宣戦布告した。   ・イギリス、 オーストリア、 ロシア、 ナポリ、 スウェーデン イギリス本土への侵攻を準備したナポレオンは、ブローニュに遠征軍20万 … 続きを読む イギリス遠征軍から外れたベルナドット

ハノーファー総督・駐留軍司令官のベルナドット

 ベルナドットは1804年6月にモルティエ元帥の後任としてハノーファー選帝侯領の 総督・駐留軍司令官(27000人)に任命された。 司令部を市内のGartendirektorenhaus(今はHardenbergsche … 続きを読む ハノーファー総督・駐留軍司令官のベルナドット

ナポレオンに忠誠を誓うベルナドット

 1804年3月にアンギャン公事件があり、王党派が依然として復古を狙っている事が分かった。 これにより、人々はナポレオンか王党派かの二者択一を迫られることになったとの事。 (王政復古を避けるにはナポレオンしかなく、共和政 … 続きを読む ナポレオンに忠誠を誓うベルナドット

西部方面軍司令官のベルナドット(2/E)

 1802年3月にアミアン条約でフランス革命戦争が終了するまで、西部方面軍司令官を 務めていた。その間は何事も無く、手持無沙汰だったようである。 辞任してパリに戻ってからは、次の2つの事件で嫌疑を受けて憲兵司令官のダブー … 続きを読む 西部方面軍司令官のベルナドット(2/E)

西部方面軍司令官のベルナドット(1)

 1800年5月1日にブリュヌの後任として、西部方面軍司令官に任命された。 表向きは、イギリス軍のブルターニュ侵攻が予想されたので、その対策である。 しかし、実際には王党派の反乱があったヴァンデ県(西部方面軍の管轄下にあ … 続きを読む 西部方面軍司令官のベルナドット(1)

国務院議員のベルナドット

 ブリュメール18日のクーデターの後、しばらく無職でいたが。1800年1月23日に 国務院議員となった。クーデター後の議会は、次の3議会に編成変えとなった。 1)国務院 定員300人   法案の起草を行う。また、行政訴訟 … 続きを読む 国務院議員のベルナドット

将軍と間違えやすい参謀の職位

 英語やフランス語の本などを読んでいて将軍と間違えやすい参謀の職位が2つある。 1)Adjudant Généraux(Général)    将軍を補佐する士官で大佐(*1)または中佐(*2)の階級である。1795/6 … 続きを読む 将軍と間違えやすい参謀の職位

ブリュメール18日のクーデター当日のベルナドット

 クーデターの当日朝、ジョゼフ・ボナパルトはベルナドットを訪問し、 ナポレオンが会いたがっていると伝えて一緒にナポレオンの家に行った。 そこでベルナドットは、将軍達が集まっているのを見た。 またパリ防衛司令官のルフェーブ … 続きを読む ブリュメール18日のクーデター当日のベルナドット