第4次ラシンの戦い(5)

<18:00開始時点の状況>

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<19:00開始時点の状況>(3ターン経過後)

 左翼、中央、高台付近とも戦況が悪化した。特に高台付近の渡河作戦失敗が大きい。

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<オーストリア軍左翼の状況拡大>

 戦力半減したオーストリア軍徒歩砲兵が再び損害を受けて全滅した。砲兵なしでは

攻撃が出来ないので軍団砲兵の要請を行った(伝令ルールの適用)。

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<オーストリア軍中央の状況拡大>

 強襲したオーストリア軍歩兵大隊は、ポーランド軍歩兵の反撃と砲兵の散弾砲撃により潰走した。

しかし、ポーランド軍歩兵も累積で1300人の損害を出し、1ヶ大隊は潰走して遠くに逃走、1ヶ大隊は

混乱しており、ポニャトフスキー少将直属部隊だけでは守れない見込み。

なお、フェルディナンド大公の下に左翼からの伝令が到着した(軍団砲兵の派遣要請)。

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<高台付近の状況拡大>

 渡河した軽歩兵2ヶ大隊(散開隊形1100人)は、ザクセン軍歩兵の反撃と砲兵の散弾射撃により

混乱して後退し、再渡河で南岸に戻る際に溺れる兵士が合計で800人にもなり、1ヶ大隊は全滅し、

残る1ヶ大隊も戦力が100人に激減した。これにより、軽歩兵は戦力外となり、北岸で舟橋中隊を

守る部隊が居なくなった(戦列歩兵は散開隊形になれないので渡河できないルール(*1))。

護衛のいない舟橋中隊は、敵の歩兵か騎兵に進入されると全滅するので、この地区の橋頭保確保は

不可能になってしまった。

 (*1)ライプチツヒの戦いの”泳ぎによる渡河”を参照した。

 更に、混乱して戻った軽歩兵に巻き込まれたオーストリア軍騎馬砲兵も混乱し、やがて潰走して

後方に去ってしまった・・・。

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<個人的感想>

 渡河作戦の失敗が大きかった。散開隊形では白兵戦で戦力が半減するので、ザクセン軍の

反撃に耐えられずに白兵戦で敗北しDDの結果(混乱して後退)を受けた。渡河して戻る際には、

サイコロ1ヶの目の数だけ戦力が減少(溺れて死亡など)するルールが厳しく、2つの大隊とも

4が出てしまい、1100人渡河したが戻ったのは100人と決定的な敗北になった。

この結果、ポーランド軍は、この方面を心配する必要がなくなり、予備部隊を中央のRaszynか

オーストリア軍左翼のMichalowiceに派遣できる余裕が生まれた。オーストリア軍が勝利できる

見込みは無くなったと思う・・・。

なお、ザクセン軍の離脱判定(オリジナルのシナリオでは、損害が出た場合は1時間毎に

離脱判定(1/6の確率)を行う)を有効にしても、オーストリア軍の軽歩兵が100人だけでは、

騎兵1ヶ連隊を監視に残しておけば十分であり、大勢に影響はない。

 

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