11月18日までリューベックに留まっていたベルナドットは、対ロシア戦役に参加する為に
19日にベルリンに向け出発した。28日にベルリンに到着し、1日休息してからナポレオンが
待つポズナンに向かい、12月8に到着した。1日当たりの移動速度は以下の通りで普通である。
・リューベックからベルリン 284km÷9日 = 31.6km/日(約10時間/日の行軍)
・ベルリンからポズナン 274km÷9日 = 30.4km/日(約10時間/日の行軍)
ベルナドット軍団は予備としてしばらくポズナンに留まっていた。ナポレオンは、ワルシャワの北で
ロシア軍を捕捉しようと考えていた。主力として第Ⅲ、Ⅴ、Ⅶ軍団と親衛隊を集結し、増援として第Ⅳ軍団が
行軍していた。左翼部隊として、ベルナドットに下記の独立部隊を指揮させた。
戦力 : 歩兵約30000人、 騎兵約7500騎、 大砲67門
第Ⅰ軍団(歩兵3ヶ師団:約14500人、 軽騎兵約1100騎、 大砲34門)
ネイの第Ⅵ軍団(歩兵2ヶ師団:約15500人、 軽騎兵約400騎、 大砲24門)
ベシエールの騎兵軍団(胸甲騎兵1ヶ師団:約1600騎、 竜騎兵2ヶ師団:約4400騎、 大砲9門)
任務 : 1)ロシア軍の右翼から後方に向かい敵の連絡線(補給路)を脅かす。
2)最後のプロシア軍レストック(L’Estoq)軍団約20000人とロシア軍との合流を阻止する。
(補足)OOBについては、下記のデータを参照した。
先行していた第Ⅵ軍団、騎兵軍団を追いかけて、ベルナドットの第Ⅰ軍団は12月16日にポズナンを出発した。
7日間で225kmを行軍し、1日当たりの移動速度は32.1km/日(約11時間/日の行軍)である。
なお、リヴォー師団はトルンに残り、北方の警戒任務に当たった。
12月22日時点での両軍の配置は以下の通り。
(Military History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP70aの抜粋である)
<個人的な感想>
ナポレオンは、ベルナドットのプロシア軍追撃戦を高く評価していたと思われる。その時と同様な
歩兵2ヶ軍団、騎兵1ヶ軍団の編成である独立部隊を指揮させた事は信頼している証拠と思われる。