イエナ会戦の後、ベルナドット軍団は15日にはハレ方面に進軍して17日に
ヴィテンベルグ(Württemberg)中将の軍団とハレ(Halle)で交戦して撃破した。
その後、20日にはエルベ川沿いの町バルビー(Barby)に到着した。
21日にベルティエ元帥からイエナ会戦に遅れた非難の手紙が来たので、
反論の手紙を書くことになった。
22日には命令に従ってエルベ川を渡河して、プロシア軍の追撃を開始した。
その間にも23日にはナポレオンから非難の手紙が来た。
内容は、”祖国は危機にあり”さんの下記WEBページを参照。
しかし、非難したにも関わらず、ナポレオンはベルナドットを解任する事もなく、引き続きプロシア軍追撃を任せた。
下図はMilitary History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP67の抜粋その1である(10月15〜24日)。
下図はMilitary History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP67の抜粋その2である(10月24日~11月6日)。
ベルナドット軍団は10月15日から11月6日までの22日間で712kmを追撃し(32.4km/日)、
下記4回の戦闘を行った。
10月17日 Halleの戦い
11月1日 Nossentinの戦い
11月3日 Crivitzの戦い(下記Lubeckの戦いの中で記載あり)
11月6日 Lübeckの戦い
<個人的な感想>
1806年戦役で一番長距離を行軍したのがベルナドット軍団であり、ミュラの騎兵予備軍団、
スールトの軍団と共にブリュッヘル(Blücher)の部隊を降伏させた功績は大きい。