ナポレオン戦争の昇進例

 前回の記事で、ナポレオンが各階級4年留まる制約を設けたと

書いたが、サンプルとして次の2人について調べてみた。

1)クロード・エティエンヌ・ミシェル(1772年生まれ)

 ”親衛隊は死すとも降伏せず”と言ってワーテルローで戦死した将軍。

2)エティエンヌ・モーリス・ジェラール(1773年生まれ)

 1795年から1801年(*)、1804年から1810年までベルナドットの

参謀、副官、最終は参謀長になった将軍で、1830年には元帥になった。

 

各階級に昇進した年を纏めてみた。薄い黄色の部分はナポレオンが権力を

握った1802年(終身執政になった)以降を示す。

 ミシェル ジェラール
大尉1792年(20歳)1797年(24歳)
少佐1795年(23歳)1799年(26歳)
中佐1803年(31歳) 
大佐1807年(35歳)1800年(27歳)
准将1811年(39歳)1806年(33歳)
少将1814年(42歳)1812年(39歳)

例外が1つ(ミシェルの少将昇進は3年)があるが、4年の制約は有効である。

 

(*)1801年に法令で少将の副官には、中佐以上が禁止された為。当時大佐に

なっていたので一時離れたが、ベルナドットが元帥になった際に再び副官になる。

 

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