1813年Wachauの戦い

nagunaguさんのmustattack日記”1813年のドイツ戦役、Wachauの戦いって?
を見たがWachauの戦いを思い出せなかったので、以下にメモしておく。

1.概要
  Wachauの戦いは会戦名称ではなく、Leipzig会戦の1戦闘区域である。
  Leipzig会戦10月16日の戦いは下図のように6区域で戦闘が行われた。
  Wachauの戦いは下図枠線内の区域⑤である。
  (Military History and Atlas of Napoleonic WarsのP142から引用)

2.Wachauの戦い
  この戦いがLeipzig会戦の決定的勝利につながったかもしれない理由は、フランス軍重騎兵第1師団
  (Bordesoulle少将の胸甲騎兵)が前線を突破して連合軍司令部(ロシア皇帝アレクサンドルなどが居た)
  間近まで迫った為である。しかし、後続の増援がなく追い返された。
  もし、適切な増援があれば司令部を混乱・後退させて会戦が終了したかもしれない。
(1)下図はMilitary History and Atlas of Napoleonic WarsのP141から引用。

(2)下図はThe Campaigns of Napoleonのp930から引用。

  上図ではDumercがBordesoulle少将の上司であるような記載であるが、上司(第1騎兵軍団長)は
  Latour-Mauborg少将である。Dumerc少将は重騎兵第3師団長であり、著者チャンドラーの勘違いと思われる。

(3)Leipzig会戦のフランス軍OOBのp16を下図に引用する。

<個人的な感想>
上記2(1)(2)ではミュラーの責任にしているようだが、騎兵だけでは十分な支援ができないと思う。
歩兵を含めた支援にはナポレオンが命令する必要がある。しかし、Leipzig会戦は戦場が広すぎて
ナポレオンでも戦況把握は難しいと思う。
そもそも騎兵突撃を命じた指揮官は成功時の戦果拡大を考えていなかったのだろうか??
ナポレオンは何を考えていたのだろうか?
それともミュラーに全て任せた?(歩兵・騎兵連携指揮能力がないのは分かっていたはず)

 

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