1813年のカール・ヨハン(11/E)

ライプツィヒの戦いが終わった後で、カール・ヨハンはデンマーク侵攻の為に北上すると宣言した。
プロシアとオーストリアは同盟軍が弱体化するので反対したが、
それならスウェーデン軍と共にスウェーデン領ポメラニアに引き返して
国王の命令を待つと脅かした。
ロシア皇帝はカール・ヨハンに味方して、ハンブルクに居るダヴー元帥の軍団をナポレオンに
合流させないためにも、北上するのは必要だと両国を説得した。
それにより、両国は北上を渋々認めることにした。

カール・ヨハンはライプツィヒからハノーファーに向けて進軍した。
ここは1804年に総督・駐留軍司令官として赴任していた所
その時に善政を行った記憶が残っていた事もあり、歓迎を受けた。

ハンブルクは包囲するだけにして北上し12月13日にはキールに司令部を進めた。
ここで3週間の休戦をデンマークと結んだ。

<個人的な感想>
ロシア皇帝の信頼が大きい。フィンランドを諦めた現実的な政策が実を結んだものと思う。