1813年のカール・ヨハン(5)

8月に休戦が終わり、戦役が再開した。
ナポレオンはベルリンを占領するために南からウディーノ元帥の軍70000人、
西からダブー元帥の軍団25000人を進める計画を立てていた。

ダブー元帥の軍団にはWallmoden中将の軍団25000人で監視させ、
北方軍主力12万人はベルリンを中心に展開した。
8月23日Grossbeeren(グロスベーレン)の戦いが行われたが(下図①)、
ウディーノ元帥の3ケ軍団はバラバラに行軍し、相互に支援できる位置になかった。
その為、グロスベーレンではレニエ少将の第7軍団だけが
プロシア軍ビューロー中将の第3軍団と戦い、敗北した。
ウディーノ元帥直率の第12軍団は遠くに居て戦闘には間に合わなかった。

東に約8km離れたBlankenfelde(ブランケンフェルデ)ではベルトラン少将の第4軍団と
タウエンツェーン大将の第4軍団が戦い、決着が付かなかった。

ジラー少将はマグデブルグ守備隊を率いてウディーノ元帥の軍に合流しようとしたが、
8月27日Hagelberg(ハーゲルベルク)でフィルシュフェルツ中将のプロシア軍と戦い敗走した。(下図②)

9月2日Mecklembourg(メクレンブルグ)でグロスベーレンの敗北を聞いたダブー元帥は
軍団をハンブルクに戻す事にした。(下図③)
なお、ダブー元帥の進軍が遅いのは騎兵が少なくて偵察・前衛が貧弱な為である。

<個人的な感想>
ベルリンへ北進する軍の指揮官にウディーノ元帥を選ぶ理由が分からない。
ダブー元帥はカール・ヨハン対応にハンブルクに残したい気持ちは分かる。
この方面がカール・ヨハンが望む進軍方向(デンマーク侵攻)である。

それなら、ネイ元帥を任命するのが普通と思うが、バウツェンの戦いは
彼のせいで決定的勝利を逃したと思っていたのかもしれない。
全軍の副将を任せられる人材が彼以外にいない事がフランス軍の弱点である。
その点でトラッヘンベルク計画は狙いが正確である。
ランヌ元帥は既に戦死、ベルナドット元帥は今やカール・ヨハンとして敵、
マッセナ元帥は55歳だしスペインで失敗、ミュラーは器でない、
スールト元帥はスペインに派遣済、
とナポレオンには他に有能な人材はいないと判断したように思う。
しかし、大軍を任せられると本気で判断したのか、願望だったのか分からない。