1798/4/13 夕方5時頃に総裁政府からの命令で三色旗を大使館のバルコニーに掲げた
ことが事件のきっかけになった。(この当時、国旗を掲揚する慣習はなく、ブルボン王朝時代の
フランス大使館でも国旗は掲揚しなかった。)
暫くして群衆が大使館に押しかけて、革命のシンボルである三色旗を下すように要求してきた。
ベルナドットは、バルコニーに出て群衆に帰るように言い、双方とも言い合いになった。
騒ぎを聞いて警察と市警備隊が駆けつけて、群衆を静めようとした。しかし、
ベルナドットがサーベルに手を掛けながら門まで来て、激しく怒鳴った為に、
群衆は更に激高した。警察と市警備隊から沈静化の為に三色旗を下すように
要望されたが、ベルナドットは断った。
大使館の周辺は群衆で一杯になり、警察と市警備隊は、これ以上の増加を
防ぐために市内各所で通行止めにした。
ベルナドットは、オーストリアの外務大臣ツゥグート宛てに手紙を書き、群衆の解散を要請した。
それに応えて、パリに赴任予定のオーストリア大使デーゲルマンが来て、一緒に居る事になった。
群衆は沈静化せず、投石が始まると共に、一部の人間が三色旗までたどり着いて
引き下ろし、引きちぎり、一部を燃やしてしまった。
更に暴徒は大使館内に押し入り、1階の部屋を壊した。2階に上った暴徒は、
剣を抜いたベルナドットとその随行員と向かい合う事になった。
結局、軍隊が出動して威嚇射撃をした上で、擲弾兵と胸甲騎兵までが出てきて、
群衆を解散させたのは午前2時になっていた。
<個人的感想>
総裁政府の命令は行き過ぎと思う。いくら革命政府でも敵国で慣例に反して
革命のシンボルである三色旗を掲げるのは挑発と取られても仕方がない。
ベルナドットもあっさり国旗を取り下げる訳にはいかないので、やむなしか。
<リンク>