ベルナドットの任務は、次の2つである。
1)表向きは、フランスとオーストリアの外交再開である。
2)裏の目的は、フランス軍のローマ進攻からオーストリアの注意をそらす事である。
2番目は成功しており、1番目は余り期待されていない。その証拠に、フランス政府による
大使の信任状がベルナドットに届いたのは、ウィーン到着から2週間後の1798/2/22である。
オーストリア側は対応に時間がかかり、ベルナドット大使がオーストリア皇帝に謁見
できたのは1798/3/2である。その後、パリ駐在のオーストリア大使には、デーゲルマン
(Degelmann)男爵が派遣される事になった。
ベルナドットの表向きの任務も成功した。フランス政府にとっても、自分達が主導権を取って
外交を再開させ、しかも平民の大使を送り込んで認めさせた事は勝利である。
慣例に反する方法で大使を送ってきたので、無視するか、送り返す方がオーストリア帝国の
権威を示すには良かった。しかし、そうしなかった理由は不明である。
<個人的感想>
オーストリアがベルナドットを無視・送還しなかった理由は、彼の軍事的名声にあるかもしれない。
オーストリアが拒否すれば、フランス政府が彼を侮辱したとの口実で戦争を再開する恐れがあった。
普通の外交官であれば、国際慣習に反して勝手に行ったとの理由が成り立つが、国民・軍に知られて
いる有名な軍人を軽く扱ったのでは反発が強いのは予想される。その意味で、ベルナドットを大使に
推薦したナポレオンの着眼には恐れ入る。本来は、彼のイタリア方面軍司令官を阻止する為の推薦
であったが、その推薦理由は適切である・・・。(ベルナドットのウィーン大使任命参照)
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