ベルナドットがイオニア諸島の司令官を受ける旨の手紙を出してから、
1週間も経たないうちに、政府はナポレオンの後任としてベルナドットを
イタリア方面軍司令官にする事を決定した。これは、ベルナドットを
ナポレオンの対抗馬として牽制させる為のものだったらしい。
パリに居たナポレオンは、1798/1/6にベルナドットに手紙を書いた。
”将軍、イオニア海のフランス軍に関する報告を送ってくれて感謝する。
君は時間を無駄にしない方が良い。平和な時は、戦場では得られない時間を使って、
有用な情報を集める事に専心した方が良い。
私は君と共にイギリスに進攻したい。しかし、政府はイタリア方面軍司令官として、
今いる地域に留まる事が必要だと考えている事が分かった。その地位は非常に重要であり、
政府の考えに反対しようとは思わない。
どんな状況においても、君を敬愛している。 敬具、ボナパルト。”
しかし、手紙とは反対にナポレオンは行動し、イタリア方面軍司令官にベルナドットは不適切で、
ベルティエかブリュヌ、または他の誰でも良いと政府に迫っていた。
<個人的感想>
ナポレオンは政府に干渉し過ぎたと思われる。うるさくなった政府は、逆に、
ナポレオンが警戒するベルナドットこそ牽制役に適任と感じたのではないか。
2人が気の合わない事も分かっていたように思われる(応援演説の直接送付など)。
ナポレオンは、初めてベルナドットを脅威と見なしたように思われる。
”他の誰でも良い”と言ったのは、ベルナドットだけが自分の基盤である
イタリア方面軍を変えて、影響力が無くなる事を恐れたのかも知れない。
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