ベルナドットのパリ派遣(6/E)

 バラス達は、パリに居るベルナドットに南方軍司令官の職を提案した。南方軍は

4ヶ師団を持っていたが、マルセイユを中心に混乱状態にあった。ベルナドットは、

9/27に断りの手紙を書いた。

”総裁閣下、貴方は私を信頼して指揮を要望されました。私は良心に従い、また職務と達成に

必要な手段を十分考慮しました。しかし、そのような重荷に耐えられる力がない事を率直に

言う義務があると思います。深い知識、人間性への綿密な研究、しっかりして協調的な性格が

必要な職位を、早まった野心から思い切って引き受けたとすれば、私は、とても非難されても

仕方がないでしょう。私の名誉、良心、祖国に仕えたい願望によって、その提案を辞退させて頂きます。

良い兵士を悪い司令官に変えるような事を強要しないようにお願い致します。

どうか、この辞退を受け取って頂き、私の辞退に落胆されないように希望します。

また、今回の提案を大変名誉に思います。   敬意を込めて、ベルナドット。”

 

クレベールは、この辞退を聞いて、”彼は賢く、慎み深い”と評価したとの事。

一方で、ナポレオンは司令官を受けると思ったらしく、彼の師団を解体しようとした。

それに対して、上記と同じ日の9/27にベルナドットはナポレオンに手紙を書いた。

”貴方が私の師団を解体して、再編成するとの噂を聞きました。とても信じられません。

貴方は私がミランを発つ前に正反対の約束をしました。更に、貴方もご存じのように、

私の師団は私の家族であり、私は師団に愛着があります。

私は、第8、9、10、20師団の指揮を断りました。今から11日以内には貴方の所へ帰るでしょう。”

 

結局、ベルナドットが師団司令部のあるウディネに戻ったのは、10月中旬である。

なお、ナポレオンの副官ラヴァレットによれば、ベルナドットが陸軍大臣になるとの噂が

ナポレオンの耳に入り、ベルナドットが帰るまで穏やかではなかったらしい。

 

<個人的感想>

 南方軍司令官を断ったのは、引き受けるだけの魅力がなかった為と思われる。

断りの手紙にあるように自信がなかったとは思えない。ジュールダンを見ているし。

クレベールが”賢い”と評したのは、次の重要性の面を判断しての事と思われる。

1)重要性

 南方軍が混乱していても、当面は困らない。これが、戦時中で敵が攻めてくる

ような状況であれば、引き受けたと思う。

2)愛着

 ナポレオンへの手紙にあるように、サンブル・エ・ミューズ軍から一緒に

戦いイタリアまで連れて来た師団を、”紳士達”と差別されるイタリア方面軍に

置き去りにするのはできなかったと思う。また、停戦が終われば、駐留する

ヴェネチアは最前線になる。

3)地位とお金

 方面軍司令官になれば、臨時に大将の位につけるし、年収も4320万円

から9600万円に上がるが、上記の愛着を優先したと思われる。

この辺りが、ナポレオンの言う”古き良き騎士道を信奉する男”なのだろう。

イタリア方面軍の他の師団長なら引き受けた筈で、ナポレオンも愛着よりも

地位とお金を優先する筈と思って、ベルナドット師団の解体を考えたと思う。

 

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