7月30日にイギリス軍4万人がオランダのワルヘレン島に上陸した。(下図)
ナポレオンと大陸軍はウィーンにおり、対応できる状況ではなかったが、
パリに居る大臣達は混乱して有効な対策を打てなかった。
8月3日にベルナドットは陸軍大臣に面会し、1ケ中隊でも指揮したいと申し出たが断られた。
ナポレオンは、10日付けの手紙で陸軍大臣に命令しベルナドットを現地の司令官に任命させた。
詳細は、”祖国は危機にあり”さんの1809年8月12日スヘルデ河口を参照。
ベルナドットはアントワープに司令部を置き、軍を整えて防衛体制を築いた。
8月18日時点で寄せ集めの1万2000人の部隊が、26日には実戦に投入できる
2万6000人の軍隊になっていた。
9月14日には司令官のチャタム大将が去り、最後のイギリス軍は12月23日に退却した。
疫病により4000人の死者と1万2000人の病人を出した為である。
その後、ナポレオンからカタロニア方面軍の司令官に任命する話があったが、断った。
10月ナポレオンからウィーンに来るように言われ、そこで色々話したが2人が和解することはなく、
ローマ総督にとのナポレオンの話も断り、退役することにした。そのまま1809年は過ぎた。
<個人的な感想>
ワルヘレン戦役に参加したのは、祖国のためと思う。
ナポレオンからの司令官打診を断ったのは、もう指揮下で
働く気がなくなったと思われる。
1797年にもナポレオンに嫌気が差して退役したがったので、
2度目で実現出来たか・・・。