1809年戦役のベルナドット(1)

3月にスウェーデンでクーデターが起こり、国王グスタフ4世が追放されて
セーデルマンランド公カールが摂政になった。
彼はナポレオンに支持と助言を求めるとともに、フランス軍の北部ドイツ駐留
司令官であるベルナドットに停戦を要望した(スウェーデンは、第4次対仏大同盟に参加していた)。
そこでベルナドットは、ナポレオンの了解のもとに停戦に応じた。

4月9日にオーストリア軍は、フランスの同盟国バイエルンへの侵攻を開始し1809年戦役が始まった。
この時、ベルナドットはナポレオンの命令でザクセン軍団の編成の為にドレスデンに居たが、
オーストリア軍の進攻に対する具体的な指示がなくて困惑していた。
それは、ナポレオンが彼を第2軍団司令官にするかザクセン軍団司令官にするか決めていなかった為である。
ランヌ元帥がスペインから戻れたら、第2軍団はランヌに任せるつもりであったらしい。

5月にはレーゲンスブルクに居たナポレオンから来るように言われ、
ザクセン軍団(歩兵13000、騎兵2000、大砲36門)を率いて合流した(①)。
ナポレオンから側衛としてドナウ川沿いをウィーンに向かうように命令を受け、
5月17日はリンツの戦いでヴァンダムの第8軍団を支援して勝利した(②)。

しばらくリンツに留まっていたが、アスペルン・エスリンクの戦いで
フランス軍が敗北し、ランヌ元帥が戦死したことを聞いた。
ナポレオンは補給線の安全を確認してから、リンツはヴァンダムに任せて
ベルナドットにウィーンへ来るように命じた(③)。

<個人的な感想>
ナポレオンは、分遣隊の指揮官としてベルナドットを評価していたと思う。
ドナウ川沿いの監視の責任者にベルナドットを任命して、ヴァンダムの
第8軍団も指揮下に入れている。