1805年師団長の出身方面軍

 1805年8月 大陸軍師団長の出身方面軍について、少し調べて見た。

ナポレオンが皇帝になって初めて編成した大陸軍なので、師団長の人選

にも考えたと思われる。

1796年の所属方面軍を調べたものが下記の表である。

 合計歩兵師団長  騎兵師団長 
 方面軍人数 人数 該当者 人数  該当者
サンブル・エ・ミューズ  7 3Drouet、Friant 、Legrand 4Margaron、D’Haupoult 、Klein 、Bourssier 
 イタリア 6 3

Rivaud、St. Hilaire、Suchet

 3Kellermann、Walther、Beaumont
 ライン・エ・モーゼル 5  4

Gudin、Vandamme、Oudinot、Gazan

 1Nansouty 
その他14 9Boudet、Grouchy(#)、Dumonceau、Bisson、Dupont、Loison、Malher、Dejardins、Mathieu 5La Coste 、Vialannes、Treillard、Tilly、Baraguay

(#)何故か歩兵師団を指揮している。

なお、9ヶの軍団長(親衛隊軍団1、歩兵軍団7、騎兵軍団1)の出身方面軍は、次の通り。

イタリア : 5人(Bessiers、Marmont、Lannes、Augereau、Murat)

サンブル・エ・ミューズ :3人(Bernadotte、Soult、Ney)

ライン・エ・モーゼル :1人(Davout)

 

<個人的感想>

 師団長は各方面軍からほぼ均等に人選したように見える。さすがに、イタリア方面軍を

優遇しても人材が足りない為と思われる。また、軍団長の下に同じ方面軍の師団長を

集めてはいない。

 グルーシーが歩兵師団を指揮しているミスマッチが面白い・・・。

 

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