ベルナドットが復帰したのは9/11で、師団は軍の右翼としてラーン川沿いのギーセンに
布陣していた。西側にはマルソー師団がおり、9/13には2つの師団でオーストリア軍の
攻撃を撃退した。その後、ジュールダンは自軍の左翼を強化する為に、ベルナドット師団を
東に移動させたが、その隙にオーストリア軍がマルソー師団を攻撃した為、再度、
元に戻して援軍を指示した。
ベルナドットは師団の一部(歩兵4ヶ大隊、騎兵5ヶ大隊)を率いてリンブルクに9/17到着したが、
既にマルソー師団は後退しており、オーストリア軍の一部(歩兵8ヶ大隊、騎兵15ヶ大隊)
から激しく攻撃された。残してきた自分の師団とジュールダンの本隊、左翼が未だ東側に
居り、後退の時間を稼ぐために、再び側衛の戦いをする事になった。
昼までリンブルクで戦い、後退しながら夕方にはリンブルク北東16kmのメレンベルクで
再度交戦し、夜の8時まで戦った。その結果、師団本隊とジュールダン軍は安全に後退
する事ができた。
ジュールダンは回想録で”勇猛な”と誉めている。
<個人的感想>
ジュールダンの褒め言葉は、シュヴァインフルトでの作戦会議の反抗を
考えれば、人が良すぎるのではないか思う。
<リンク>