1796年1月には第2次アマルガムによる歩兵部隊の再編成があり、
5月31日にオーストリアとの休戦が終了した。左翼のクレベール部隊が
5月31日夜にデュッセルドルフでライン川を渡河して戦役が開始された。
6月4日にクレベール部隊は、アルテンキルヒェンの戦いでヴュルテンブルク将軍の
オーストリア軍に勝利した。この戦いには将来元帥になる3人が参加していた。
師団長:ルフェーブル少将、 旅団長:スールト准将、 参謀副官:ネイ大佐
一方、ベルナドットは右翼として7日にノイヴィートでライン川を渡河し、ナッサウに向かう。
この進攻は昨年の秋季戦役と同じ。ベルナドット師団は、第2次アマルガムに
伴う部隊再編制により、以下となる。( )内は第1次アマルガムの部隊名。
シモン准将の旅団:第37半旅団(旧第111半旅団)、第88半旅団(旧第112半旅団)
バルボ准将の旅団:第49半旅団(旧第93半旅団)、第7竜騎兵連隊、
第3猟騎兵連隊、第2ユサール連隊
砲兵部隊:2ヶ中隊(1ヶ中隊は4ポンド砲3門)
12日までにはラーン川北岸にジュールダンのフランス軍、南岸にオーストリア軍が対峙した。
増援が来たオーストリア軍は反撃を開始し、15日にはヴェッラーでルフェーブル師団に勝利。
さらにカール大公の部隊が、その西でラーン川を渡河し、フランス軍左翼を迂回・包囲する機動を
始めたので、ジュールダンは退却を決めて元のライン川西岸に向けて後退した。
この動きも、ベルナドットが後衛を任された事も昨年の秋季戦役と同じ。
<個人的感想>
今まで一緒だった第71半旅団は、第2次アマルガムで第92半旅団となり、
シャンピオネ将軍の師団に異動になった事は、ベルナドットにとって寂しかったと
思われる。
フランス軍、オーストリア軍とも昨年の秋季戦役と同じ動きをして、最後に
退却するのは、フランス軍に学習効果がないと思われる。何らかの工夫が
あっても良かったのではないか。
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