1808年の時点で、フランスに敵対していたのは、イギリスとスウェーデンだけであった。
ロシアとデンマークは、フランスと同盟関係にあり、オーストリアとプロシアは中立となっていた。
2月にロシア軍がフィンランドに進攻したので、ナポレオンも約束通りに
スウェーデン進攻を始めようとした。進攻軍の司令官にベルナドットが
任命されて、約32000人(詳細は下記)の戦力が集められた。
1)フランス軍団(ネイ元帥 *1)
A)Dupas師団(歩兵約4800人、騎兵約400騎、大砲18門)
B)Boudet師団(歩兵約6000人、騎兵約700騎、大砲12門)
2)スペイン軍団(ロマナ中将)
A)Kindelau師団(歩兵約5000人、騎兵約2200騎)
B)de Salcedo師団(歩兵約4800人、騎兵約1800騎)
C)砲兵部隊(大砲25門)
3)オランダ部隊
A)Gratien師団(歩兵約5800人、大砲12門)
*1 下記のOOBを参考にしたが、他の資料ではネイがデンマーク駐留軍団を
指揮した記述が見当たらないので、疑わしい。11月には第6軍団を指揮して
スペイン遠征軍(ナポレオン指揮)に参加しているので、フリートランドの戦い
の後も引き続き第6軍団を指揮してしたと思われる。
・Franco-Spanish Division in Denmark March 1808
その為、ベルナドットが直接指揮したと思われる。
デンマークもスウェーデンに宣戦布告したので、スウェーデンは3月に
ノルウェイ(デンマーク領であった)に進攻し、ここでは戦いが始まっていた。
(1809年10月まで続いた)。
しかし、ナポレオンは、スウェーデン進攻がフランスよりもロシアに
有利になる事を心配して、消極的になった。
その為、ベルナドットは、デンマーク軍が13000人の兵士を提供できるまで
進攻を待つように命令された。その後、スペイン情勢が悪くなり、進攻は見送りとなった。
5月に起こったスペイン暴動に乗じて、ナポレオンはスペイン国王に兄の
ジョセフ・ボナパルトを据えた。反発したスペイン民衆の情報がイギリスにより
スウェーデン進攻軍のスペイン軍団に伝えられた。その為、スペイン軍団はフランスに
敵意を抱き、8月にイギリス艦隊の誘いを受けてロマナ中将以下9000人が
スペインに脱出した。残った5000人のスペイン兵は捕虜扱いで、フランスに護送された。
なお、ナポレオンは、この件でベルナドットを責める事はなかった。
ナポレオンが直接指揮してスペインに進攻する前の10月に、ドイツ方面の
フランス軍を2つに再編成して、ベルナドットとダヴー元帥の指揮下に置いた。
ドイツ方面は何事も無く、そのまま1808年は終了した。
<個人的な感想>
皮肉なものである。近い将来、スウェーデン国王になるベルナドットが
スウェーデン進攻軍の司令官になるとは・・・。彼には幸運な事に、
身内の兄弟をスペイン国王にしようとしたナポレオンの野望が、進攻を
止める事になった。