7月7,9日にティルジットの和約が結ばれて、第四次対仏大同盟は崩壊し,
フランスは下図の地域を手に入れた。
7月14日にナポレオンは、ベルナドットを次の職に任命した。
1)ハンザ同盟3都市(リューベック、ハンブルグ、ブレーメン)の総督。
2)上記地区の混成軍団(フランス、オランダ、スペイン軍)司令官。
上図の青線で囲んだ部分がベルナドットの担当領域である。
ベルナドットは、7月23日にハンブルグに到着して司令部を開設した。
ナポレオンがベルナドットに下した命令は、以下の通りである。
”もし、イギリスがロシアの調停(フランスとの平和)を拒否したら、
デンマークはイギリスに宣戦布告するか、そうしなければ私が
デンマークに宣戦布告する。後者の場合、貴官の任務は
デンマークの全土を占領する事である。また、デンマーク海峡を抑える事。”
(この時、デンマークは中立を表明していた。)
しかし、イギリスは先手を取って、9月2日にコペンハーゲンを砲撃して
7日までにデンマーク艦隊を降伏させた。これにより、デーンマーク海峡の
封鎖(フランス側による)はできなくなった。
その代わり、デンマークはフランスと同盟を結ぶ事になった。
ナポレオンは、特に反応せずに、そのまま1807年は終了した。
<個人的な感想>
ナポレオンがベルナドットを総督兼地区司令官に任命したのは、ハノーファー、
アンスバッハに続いて3度目である。彼の行政能力を高く評価していたのかも知れない。
ヴィクトールは元帥に任じたばかりなので、第Ⅰ軍団長を罷免する訳にもいかないかも・・・。