1807年戦役のベルナドット(2)

 モールンゲンの戦いは、引き分けに終わった。戦力的には互角であったが、

主戦場(下図のMain)では優勢になっていた。しかし、ロシア軍コサック

(下図のSub)が、背後に回り込んでモールンゲンの町を占領した。

その為、危険を感じたベルナドットは、攻撃を中止して町に転進した。

この時に個人的な荷物をコサックに奪われた(町に残していたので)。

しかし、ロシア軍司令官のベニグセン大将は、荷物を返して来た。

その理由については、以前にハノーファー総督・駐留軍司令官のベルナドット

述べた通りである。

(補足)下図の赤はフランス軍、緑はロシア軍である。

その後、ベニグセンの本隊が近づいて来たので、ベルナドットは南にStrasburgまで後退した。

結果として、ロシア軍の攻勢は成功した(DanzigとGraudenzの連絡路を確保した)。

下図は、Military History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP71bの抜粋である。

<個人的な感想>

 モールンゲンの戦いは、ナポレオン関係の書籍では触れられていない事が多い。

ナポレオンの直接指揮ではない局地戦である為と、主役が好かれていないベルナドットの

為と思われる。少し、不公平な感じがするが・・・。

参考になるのは、下記のWikiくらいである。

Battle of Mohrungen

 

<リンク>

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