ベルナドットは引き続き左翼を指揮し、重要な次の2都市とロシア軍との連絡路を
遮断する任務も与えられていた。
1)プロシア軍が駐留しているDanzig
2)Rouyer少将指揮のHesse-Darmstadt師団が攻囲中のGraudenz
Elbing(Elblag)を補給基地にしたが、補給状態は悪かった。
そこで、ナポレオンは、苦労しているベルナドットとネイに、その地域の
金銭徴集を許可したが、2人は個人的な蓄財はしなかった。
一方、ロシア軍司令官のベニグセン大将は、上記2都市との連絡路を確保する為に、
1月10日から攻勢に出た。Liebstadt(下図の赤点線枠)の守備隊が攻撃を受けたとの報告を24日に
受けたベルナドットは、すぐに軍団主力をMohrungen(下図の赤線枠)に夜行軍で集結させて迎撃態勢を取った。
この時の迅速な行動に対して、ナポレオンは以下の賛辞を送った。
”何が素晴らしかったかと言えば、兵士を良く指揮した事と将軍達の能力だけではなく、
軍団全てが宿営地を撤収して夜行軍を成し遂げた迅速さである。
しかも、戦場に到着した時に1人の脱落者もなかった。他の部隊なら、とても難しかったであろう。”
下図は、Military History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP71aの抜粋である。
<個人的な感想>
今回も独立した指揮権(左翼司令官)を持っていたので、独自の判断で敵に
直接向かって行ったと思われる。ナポレオンの命令を待つような立場よりも、
独立した指揮をした方が、彼の良さが出る。ナポレオンも、そのように思って
左翼を任せたのかも知れない。