ベルナドット准将は、10月6日にクレベール少将とノイス(デュッセルドルフの対岸)で
合流したが、その後、彼と共にマーストリヒト要塞攻囲戦に向かった。この時に、ネイ大佐は
クレベール少将の参謀に戻っている。
ノイスからマーストリヒトまでは約110kmあるので、荷馬車を伴う行軍速度が3km/hと
して約37時間の行程になる。11日にはクレベール少将が攻囲軍の指揮を取っているので、
4日間で移動した計算になる(7日朝出発〜10日夕方到着)。普通の行軍速度かも。
マーストリヒト要塞は9月19日から包囲されており、クレベール少将が本格的な攻囲戦を
始めるまでは、デュエスマ(Duhesme)准将がフランス軍を指揮していた。
要塞側はヘッセン・カッセル大将以下9000人で、攻囲側はクレベール少将以下の36000人。
10月11日からは、工兵司令官マレスコ(Marescot)准将が参謀のシャセル(Chasseloup)
工兵少佐達と攻撃計画を立てて、23日から準備段階に入った。全軍を3つの地区に分けて個々に参謀を付けた。
総司令部には、派遣議員のジレ(32歳)が居て大砲の増強をパリの政府と交渉し、120門までになった。
なお、デュエスマとポンセは、準備段階の中で少将に昇進している。( )内は、当時の年齢を示す。
司令官 | 工兵以外の参謀 | 工兵参謀 | 兵力 | |
総司令部 | クレベール少将(41) | ブォエルモン砲兵少将(45)、 ボエッセ騎兵准将(44)、他 | マレスコ准将(36)、他 | 騎兵2ヶ連隊 |
バーナディク (主攻撃) | デュエスマ少将(28) | ドリエ准将(33)、参謀副官2人 | シャセル少佐(40)、 少佐2人、大尉8人 | 歩兵26ヶ大隊 |
ヴィーク (副攻撃) | ベルナドット准将(31) | アルディ准将(32)、デュタルー准将(31)、 バルデネ准将(40)、ブナ-砲兵准将(38)、 参謀副官2人 | 少佐3人、大尉3人 | 歩兵15ヶ大隊 |
サンピア (牽制攻撃) | ポンセ少将(39) | 参謀副官1人 | 少佐1人、大尉4人 | 歩兵8ヶ大隊 |
<個人的感想>
ミューズ川の左岸と右岸は、簡単に行き来できない。独立した部隊の指揮官にベルナドット准将が
選ばれているのは、クレベール少将の信頼が厚い為と思われる。また、参謀に砲兵隊副司令官の
ブナ-准将、他に准将が3人も付けられている。しかも、全て年上の准将である。
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