Imperial Bayonetsの第7章”革命戦争とナポレオン戦争における騎兵戦術と質”に次の記載がある。
1.攻撃隊形の図p195
b)c)はa)の変形であり、実質は3種類になる。
2.横隊攻撃p194
意訳すると、
”騎兵隊が用いた主要な戦闘隊形は横隊であった。これにより、連隊は全長を伸ばし、
あらゆる槍やサーベルを最も効率的に使用することができた。
また、正面の幅の広さによって、より小規模な敵連隊の側面を突破することも可能であった。
その主な特徴は、突撃において連隊全体が事実上同時に衝突することであった。(筆者注1)
この巨大な衝撃は、理論上、敵の隊形を粉砕するはずであった。
騎兵隊の横隊形を図104aに示す。これはあらゆる国で普遍的に用いられた。
イギリスをはじめとする国々は、二列の戦列システムを用いていた。
一列目は主力、二列目は予備であった。
これは、1799年のイギリス軍規則の一節によって最もよく説明されている。”
注1 連隊が余りに広いと同時衝突は難しいので、敵の規模により横隊の最適な幅は変わると思う。
3.群れ(Schwarm ドイツ語)攻撃p198
意訳すると、
”プロイセンのシュヴァルム攻撃は図104dに示されている。これは1796年の軽騎兵規則に存在しており、
それ以前にも存在していた可能性がある。シュヴァルム攻撃の編成は2通りあった。
シュヴァルム攻撃を編成する合図と共に、4小隊が前進し、前進部隊を覆う散開隊形を組む。
これらの散兵は射撃によって敵の射撃を自らに引きつけ、背後の主力部隊を遮蔽した。
これは主に方陣を組んだ歩兵を攻撃するためのシステムとして用いられた。
プロイセン軍は軽騎兵と重騎兵を組み合わせてシュヴァルム攻撃を編成した。
重騎兵連隊が歩兵に向かって前進し、射撃を誘発する。重騎兵の背後に隠れた軽騎兵は、(筆者注2)
歩兵が装填する前に突撃して攻撃を仕掛けた。その目的は、歩兵が射撃できない間に危険な射撃地帯を横切り、
歩兵と接触し、マスケット銃の攻撃を受けずに白兵戦を行うことであった。”
注2 役割からいうと軽騎兵が散兵、重騎兵が主力と思う。
4.縦隊攻撃p198
意訳すると、
”縦隊攻撃は、主に歩兵に対して用いられた古い攻撃形態であった。
『ウェストファリア軍』には次のような引用がある。
「フランス革命戦争においてフランス騎兵隊が頻繁に用いた縦隊攻撃は、
1804年以降は縦隊を組んだ歩兵に対してのみ用いられ、重騎兵に対しても用いられた。
1813年には騎兵の訓練が不十分で、横隊よりも縦隊の方が統制が取れた為、
縦隊攻撃が再開された。この攻撃は速歩で実行された。」
プロイセン軍は1806年以前に縦隊攻撃を採用していた。彼らは主に歩兵に対してこれを用い、
小隊縦隊を組んで攻撃を行った。この攻撃の原則は、1759年3月16日の騎兵少将向けの訓令で定められた。
1812年のプロイセン軍規則では、この攻撃は中隊によって行われると改定された。
それは依然として主に方陣に対して使用された。”
<個人的な感想>
時と場合によって、どの隊形を選ぶのかは騎兵指揮官の能力次第との事で難しそうである。
群れ攻撃は、歩兵でも散兵+縦隊の攻撃をしているので同じ考えと思う。
ナポレオン戦争時のフランス軍歩兵の攻撃隊形のグヴィオン・サン=シール元帥の記述参照。



