1815年以降のカール・ヨハン(1/E)

1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出してパリに戻り
再び帝位についたとの知らせを受け、第7次対仏大同盟に参加はしたが
軍をヨーロッパ大陸に送ることはしなかった。

ブルボン王朝が復活後にナポレオン関係者の弾圧が始まると、
フランスからの亡命者を受け入れた。1例を以下に示す。
ネイの長男次男を陸軍中尉と少尉とし、長男は自身の長男オスカルの副官に任命した。
フーシェの3男は宮廷の侍従として雇った。

1818年カール13世の死去に伴い、5月にスウェーデン王カール14世、
9月にノルウェー王カール3世となった。

(注)今回でベルナドット政治・軍歴を終了する。後は内政に努めた。

下図は1815年のヨーロッパ地図である。(Historical Atlasからの引用)

<個人的な感想>
1815年のナポレオン復位の際に軍を送らなかったのは当然と思う。
1813年ではノルウェー奪取の為に同盟国に協力したが、
1815年では軍を送る利点がない。その割り切りは良いと思う。