1813年のカール・ヨハン(8)

この2つの戦いの結果は、ナポレオンに味方したライン同盟諸国に大きな影響を与えた。
カール・ヨハンはZerbstに移動して主な国(下図下線部)にスウェーデンと同盟するように働きかけた。

1)ザクセン王国は首都ドレスデンにフランス軍が駐留し、対仏同盟軍の包囲下にあったので、
  フランス軍第7軍団のザクセン兵に向けて味方に加わるように声明文を配布した。
  ナポレオンは声明文を回覧する兵士は撃ち殺せと命じたが、かなり広まったようで
  ザクセン軍の将軍は以下のようにナポレオン伝えた。
  ”カール・ヨハンと相対したらザクセン軍の兵士は彼に味方するかもしれない。”
  それは1809年のワグラム戦役でベルナドットがザクセン軍を指揮して
  将兵からの評判が大変良かった為である。

2)バイエルン王国はスウェーデンとの同盟に応じた。

3)ヴェストファーレン王国はカール・ヨハンの傘下に軍隊の派遣を約束した。

<個人的な感想>
会戦の勝利を外交の勝利(ナポレオンの同盟国を寝返らせる)に結びつけるのは
なかなか抜け目がない。
これが可能なのも、革命戦争とナポレオン戦争時代に北ドイツ地域で良い評判を
得ていた為である(師団長、軍団長、総督として)。