1812年のカール・ヨハン(2)

フランスによるポメラニア占領に対して、ナポレオンは直ぐに服従するものと甘く考えていて、
前回のロシア遠征協力(代償にフィンランド奪還を援助)を再び提案した。
カール・ヨハンはフランスとロシアの平和を願うと返答し、最後に以下の文章を追加した。

”陛下、フランスを離れて以来、私が経験した最も幸せな瞬間のひとつは、
 陛下が私の心情を正しく判断されたと確信した時でした。
 私は、スウェーデンの政策がフランスの政策から切り離されようとしているのを目の当たりにし、
 悲しく思います。
 私を採用し、私に限りない信頼を寄せている国の利益を犠牲にしない限りは。
 陛下、私は名誉、義務、宗教の絆で結ばれたスウェーデン人ですが、私の感情は今もなお、
 私が生まれ、幼い頃から忠実に仕えてきた美しいフランスと結びついています。
 この王国での私の人生におけるあらゆる出来事、そして私が受けたすべての栄誉は、
 私が昇格した主な原因であるあの栄光を思い起こさせるものであり、
 スウェーデンが私を選んだのは、フランス国民に敬意を表するためであったという事実を、
 私は自分の中で偽ることはありません。”

ナポレオンは、協力の代償を引き上げる提案をした。
1)ロシアとドイツ地域に領土を与える。
2)莫大な補助金と旧領地(ポンテ・コルボ公国)の補償金残額の支払い。
※ポンテ・コルボ公国をフランスに返還する代わりに貰う補償金が全額支払われていなかった。
 ポンテ・コルボ公国(4)資産価値参照。

カール・ヨハンは空約束と考え、再度ノルウェーを望んだ。
ナポレオンは失望して、以下のように話した。
”あいつは好きな方の国へ進軍すれば良い。
 そんな事がないなら、二度と彼のことを口にするな。”
また、ロシアからの使者に対しては次のように話した。
”スウェーデン人については、狂気の王に支配される運命にある。
 ベルナドットは狂ってしまった。
 ロシアと同盟を結ぶなど狂人以外はできない。”

<個人的な感想>
カール・ヨハンがロシア遠征協力を断った事がポメラニア占領を招いたのかもしれない。
ナポレオンは力でカール・ヨハンを押さえつけようとしたように思う。

ナポレオンの絶頂期でもあるし、この時期にナポレオンに逆らうのは狂気の沙汰と思う。
”ベルナドットは狂ってしまった。”と言われても仕方がない。
1810年のベルナドット(3/E)で記載したようにナポレオンから自立したい気持ちが
続いていたと思う。その時も、スウェーデン人になることを認める書類に
”フランスに対して武器を向けることができない”条項を拒否している。