1812年のカール・ヨハン(1)

1月にダブー元帥の軍団がスウェーデン領ポメラニア(下図丸枠内)に不意打ち侵攻し占領した。
表向きはフランスの私掠船(スウェーデン商船を獲物にしていた)をスウェーデン政府が差し押さえした事の
報復であるが、実際は2つの目的がある。
1)ポメラニアの港を閉鎖して英国との交易を止める。
2)将来のロシア遠征の左側面を安全にする。
実行はフリアン師団が行い、スウェーデン守備隊は武装解除・解散させて、
住民には課税し、ポメラニアの全財産をフランスの国庫に没収した。

この事件の結果、スウェーデンでは権力を握っていた政治家と国民とも親フランスから
反フランスに心情が傾いた。
カール・ヨハンはロシア皇帝に特使を派遣し、今回の占領はナポレオンの
全世界支配の一環であり、共に抵抗しようと誘った。
また、英国に交渉の為に代表を派遣するように求めた。
ロシア皇帝は歓迎し、スウェーデンがノルウェーをデンマークから奪取する際には協力し、
ロシア軍の派遣もできると回答した。

<個人的な感想>
フランス軍のポメラニア占領はやり過ぎである。そこまでする必要があったのかと思う。
その結果として、それまでフランス寄りであった政治家・国民が反発する事になった。
これは、フランスの属国扱いから独立しようとしたカール・ヨハンを後押しする事になった。
この事件がなければ、その後の対仏大同盟に再度スウェーデンが参加する事はなかったと思う。
先代の国王が第4次対仏大同盟に参加した事が原因でフィンランドを失ったので、
クーデターにより追放して今の国王にし、フランスからベルナドット元帥を皇太子にした事を
思えば、その後もフランス寄りの外交が続くはずであった。
カール・ヨハンが頑張っても反フランスに変えることは難しかったように思う。

実行したのがフリアン少将であることが面白い。
ダブー元帥の下には、他にギューダン少将とモラン少将が居た。何故フリアン少将なのか?
1)カール・ヨハンがベルナドット少将だった革命戦争時代にフリアンは准将として部下だった過去がある。
 その時は、ベルナドットのヴェネツィア駐留に記載したように、逮捕された屈辱がある。
 それを知らないダブー元帥とも思えない。わざわざ恨みを晴らさせたのかと邪推したくなる。

2)カール・ヨハンがベルナドット少将だった革命戦争時代にモランは少佐として部下だった過去がある。
 その時は、ダイニングの戦いで勲功第1位に推薦された
 また、アウステルリッツの戦いではスールト軍団サン・ティレール師団所属の旅団長として苦戦していた時に、
 ベルナドット元帥がドルエ師団を応援に送った事でロシア軍の挟撃を避けることが出来た事もある。
 会戦後にはスールト軍団最年少の准将でありながら、ただ1人少将に昇任して師団長になっている。
 その事もあり、カール・ヨハンには好印象を持っていたと推測する。

3)ギューダンはカール・ヨハンとは明確な接点はない。

普通に考えれば、過去に接点のないギューダン少将を実行者に選ぶと思うが・・・。