1810年から1811年のカール・ヨハン(3/E)

フィンランドを巡るロシアとの関係について、カール・ヨハンは
フィンランドの奪還は国力的に無理と考えていた。
その情報を得たロシア皇帝アレクサンドル1世から友好の密使が来て、
両国首脳の友好関係が密かに始まった。

フィンランドを奪還したいスウェーデンの人々を宥めるために、
デンマークからノルウェイを奪う(*1)事をカール・ヨハンは考え始めた。
(*1)以前にもあった計画であるが、重要視されていなかった。

初めにノルウェイ奪取を援助するならスウェーデン軍はフランス軍に全面的に従う
と申し出たが、ナポレオンはデンマークとの友好を優先して拒否した。
代わりにロシア遠征に協力すればフィンランドを与えるとの返答がきたが、これを断った。

水面下では色々な交渉が進んでいたが、表面上はスウェーデンは何も変わりがないまま
1811年が終わった。
密かな首脳友好を続けている相手のロシアは大陸封鎖令を1810年12月に離脱していた。

<個人的な感想>
ノルウェイとフィンランドを巡るナポレオンとの交渉は、ナポレオンの方が現実的と思う。
カール・ヨハンは本気でナポレオンがデンマークを裏切ってノルウェイ奪取を黙認すると
思ったのだろうか?長年の同盟国を裏切る代償として、スウェーデン軍の従属だけでは見合わないと思う。
スペイン戦役で軍事力増強が必要ではあるが・・・。

それに対して、フィンランドはナポレオンの同盟を基にロシアがスウェーデンに戦争を仕掛けて
獲得したものである。そのロシアがフランスに反旗を翻したので、今度はフランス・スウェーデン同盟で
フィンランドを取り戻す事は合理的である。

それでもカール・ヨハンが断ったのは疑問が残る。
フランスの属国からスウェーデンの独立を考えるなら、ある程度独力で対応出来る範囲で
外交・戦争をするのが合理的である。それなら、ロシアを敵に回すのは得策ではない。
しかし、この時点でフランスの庇護下にあるデンマークを敵に回すのは無理である。
当面は様子を見ながら判断することにしたのではないかと思う。

特に大陸封鎖令を離脱したロシアが経済的に立ち直りつつある状況を見て、
スウェーデンも離脱できないか考えていたように思う。
ナポレオンのロシア制裁の行方が見通せない状況なので、判断を保留するのは妥当と思う。