1810年から1811年のカール・ヨハン(2)

摂政になったカール・ヨハンにナポレオンから難題が出された。

初めは次のナポレオンからの要求を中立であるからと拒否した。
1)フランス陸軍に1ケ連隊を提供。
2)フランス海軍に2000人の水夫を提供。
この件に関しては、ナポレオンはスウェーデンを当てにしない事にして諦めた。

次は中立は認めず、イギリスに宣戦布告しなければフランスとの戦争になると迫られた。
この件を審議する議会でカール・ヨハンはまだスウェーデンの理解が十分でない事と
議会の判断に影響を及ぼすようなことは避けたいという希望を訴え、退席を願い出でて許された。
最終的に議会は国王(実質は摂政のカール・ヨハン)にイギリスへの宣戦布告を勧告した。
幸いにもイギリスは自発的な宣戦布告でない事を承知しており、
無視したので実質的には交戦状態にはならなかった。

<個人的な感想>
中立問題では親フランスの政治家が権力を握っているので結果は目に見えていたが、
巧みに責任回避した事はなかなかのものである。