1810年から1811年のカール・ヨハン(1)

スウェーデンに着いたベルナドットはカール・ヨハンと名前を変えて
スウェーデン人として生きることになった。(47歳)
国王カール13世は62歳であったが病気があり、皇太子のカール・ヨハンが
摂政として国王を代行する事になった。1818年にカール13世が逝去するまで
この体制は続く事になる。

1810年のヨーロッパは下図のような国境となっており、スウェーデンは
第二次ロシア・スウェーデン戦争(1808~1809年)でフィンランドを失っていたので、
多数の国民はフィンランド奪還を熱望していた。
なお、大陸のスウェーデン領ポメラニア(下図の丸枠内 S.P)は保持できていた。

この時点の外交では中立を認められたが、フランスの属国に近かった。
(反ナポレオンの先代国王は約2年前にクーデターにより失脚し、
親フランスの政治家が権力を握っている。)
内政では大陸封鎖令による経済の低迷が続いていた。

<個人的な感想>
第四次対仏大同盟の崩壊と、その後ロシアがフランスと同盟したことによる
第二次ロシア・スウェーデン戦争で大きく領土を失い、経済も低迷している国の
立て直しは難しいと思う。