フランス軍1813年戦役の師団番号

フランス軍1813年戦役の師団は、一貫番号になっている。それ以前では、
軍団内で第1からの番号で識別するか、師団長の名前で識別していた。
何故に一貫番号になったか、調べたが理由は見当たらなかった。
調べた時に、軍管区(Military Division)の記述を見つけたので、
後の為に、以下にメモしておく。
1.軍管区(Military Division)
  下記のWEBページにお世話になりました。ありがとうございます。
  ・Divisions militaires
   下図に1812年時点での軍管区を引用する。32の軍管区がある。

2.野戦の師団(Division)
  上記の軍管区(Military Division)と戦場で戦う師団(Division)は1:1の対応ではない。
  下図(Grande Armée25 April 1813から引用)のように、1813年戦役の第1師団は、
  色々な連隊からの混成になっている。(各連隊は、徴兵地域が違う)

3.連隊の徴兵地域
  連隊の徴兵地域は、上記の軍管区との対応が明確でない。例として戦列歩兵第1連隊を調べてみた。
  下記のように、1796年(フランス革命戦争中)の再編の際には、3つの部隊の混成である。
  第71連隊は、色々な部隊の寄せ集めで、パリと同じ軍管区かどうか不明である。
  第17国民義勇兵大隊の徴兵地域も不明である。
  ・1st Line Infantry Regiment

  ・1er Regiment d’Infanterie de Ligne

4.参考(旧日本軍の軍管区)
  下記のWEBページにお世話になりました。ありがとうございます。
  ・日本陸軍の管区と部隊
  軍管区の時代では、管区の番号と野戦師団の番号が1:1に対応しているので、
  どこで徴兵された部隊か分かり易い。

<個人的な感想>
フランス革命戦争中に連隊(革命時は半旅団)は、”祖国は危機にあり”で場当たり的に再編成されたので、
旧日本軍のような明確な対応付けは難しかったのかもしれない。
それにしても、ナポレオン戦争時代のフランス軍は、徴兵地域と部隊との対応付けが分かりにくい。

<リンク>

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