フランス軍歩兵の第6大隊

 バタイユゲームのバウツェンの戦い戦闘序列には、歩兵連隊の

第6大隊が含まれている(1例が下図の青枠)。

1812年より前では、歩兵連隊は4ケ大隊で編成されており、第4大隊は

兵站部隊である。緊急時は前線に出る場合がある(ワグラムの戦いなど)が、

通常は基地に駐屯している。以前にフランス軍歩兵の第4大隊で一部記述。

しかし、1812年のロシア遠征でフランス軍が壊滅した為、ナポレオンは

軍の再編成を行った。その際に、”なりふり構わず”兵士を集めたので、

上記の原則を破って、6ケ大隊まで拡張させた。但し、全ての連隊で

拡大できた訳ではない。

下記のWEBページにお世話になりました。ありがとうございます。

参考1)Napoleon’s Original Orders For the Reorganization of the Grand Army

参照した箇所抜粋は、下記の青枠部分。

参考2)The French Army of the Napoleonic wars

参照した箇所抜粋は、下記。

バウツェンの戦いで第6大隊を前線に参加させた戦列歩兵連隊は、下記の9ケ。(カウンターで確認したもの)

・ 7,10,13,20,22,23,26,32,82

全てロシア遠征には参加していない連隊である。(13のみ駐屯地不明で、他はスペイン戦役に参加)

 

 また、1813年のフランス陸軍は、正規軍では兵士が不足したようで、下記のような各種部隊を再編成して

配属して補ったとの事である。上記参考1)の青枠よりも上の記述を参考にした。

・パリ市衛兵1ケ連隊、国民衛兵20ケ連隊、海兵4ケ連隊

国民衛兵の転用については、次回で記述する。

 

<個人的な感想>

 1813年の戦役は、各国の非正規軍(フランスは国民衛兵、秋季戦役にオーストリアとプロシアはランドヴェーア)が

参加する総力戦となった事が良く分かる。しかし、寄せ集めでもバウツェンの戦いに20万人の戦力を集めた

ナポレオンの実行力には恐れ入る。

 

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