アイラウ会戦は引き分けに終わり、両軍とも再度冬営に入った。
ベルナドットの軍団は、左翼でDanzigとロシア軍との連絡路を遮断する任務を与えられていた。
下図は、Military History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP76aの抜粋である。
ナポレオンが攻勢を準備中に、ロシア軍は6月4日に全面的な先制攻撃を掛けてきた。
ベルナドットの方面では、レストク中将指揮のプロシア軍がSpanden(青枠の地点)に攻撃を掛けてきた。
下図は、Military History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP76bの抜粋である。
プロシア軍を撃退したが、5日の戦闘中にベルナドットは首にマスケット弾を受けた。
その後、ベルティエ元帥に以下の報告を送った。
”私は、首に銃弾を受けました。この負傷は命に危険はないと思いますが、とても痛みます。
しかし、私は戦場を離れるつもりはありません。皇帝陛下には、必要な限り戦場に留まるとお伝えください。”
折り返し、ベルティエ元帥から以下の手紙が来た。
”陛下が貴方の負傷を聞いた時に感じた痛みは、言い表しようがありません。
特に、貴方の才能がとても必要な時には尚更です。”
第Ⅰ軍団は、ヴィクトール少将が指揮を引き継ぎ、フリートランド会戦で活躍した。
ベルナドット夫人のデジレは、パリから駆けつけてベルナドットの看護に当たった。
<個人的な感想>
ヴィクトールがベルナドット部隊の指揮を引き継いだのは、1797年のイタリア戦役
に続いて2度目である。ナポレオンがヴィクトールを何故に高く評価していたのか謎である。
モールンゲンの戦いで賞賛したように第Ⅰ軍団は精鋭部隊である。そこの指揮官も優秀な
人物を任命するのが適切と思うが・・・。