10月14日は、イエナ・アウエルシュタットの会戦日である。夜行軍して14日の
AM11:00にドルンブルクの到着したベルナドット軍団と予備騎兵軍団(半分)は、
ドルンブルク隘路に苦闘して会戦に遅れる事になった。13日から14日にかけての
ベルナドットの行動に対する非難については、”祖国は危機にあり”さんの下記WEBページを参照。
下図はMilitary History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP64の抜粋である(10月14日午後から夕方前)。
下図はMilitary History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP65の抜粋である(10月14日夕方)。
アウエルシュタットの戦いで敗北したプロシア軍は、ホーエンローエ軍と合流しようとした。
しかし、ベルナドット軍団の先遣隊(歩兵1ヶ師団、竜騎兵1ヶ師団、軽騎兵2ヶ旅団)が
アポルダ(Apolda)付近まで進出していたので、諦めた。
結局、プロシア軍は本隊の敗残兵とホーエンローエ軍の敗残兵が別々に行動する事になった。
<個人的な感想>
ベルナドット軍団は、結果的にイエナ会戦の終盤にしか間に合わなかった。しかし、ナポレオンの
命令通りに行軍しており、プロシア軍がもつと粘っていたら強力な援軍として効果的な働きができたかもしれない。
それでもプロシア軍本隊とホーエンローエ軍の間に入って合流を妨げた事は評価して良いと思う。