1806年戦役のベルナドット(4)

 13日PM6:00頃にナウムブルクでナポレオンから次の手紙を受け取ったミュラ元帥は、

ナポレオンに合流する事にして予備騎兵軍団(2ヶ竜騎兵師団、1ヶ軽騎兵師団)をベルナドットに預けて

ナポレオンの下(イエナ)に出発してしまった。

<ナポレオンがミュラに宛てた手紙> Bernadotte and Napoleon, 1763-1810のp133

 ついにヴェールは引き裂かれた!敵はマグデブルク方面に後退している。

出来るだけ早くベルナドットの軍団と共にドルンブルクに行け。

そこはイエナとナウムブルクの間にある大きな村である。

そこに貴官の竜騎兵と他の騎兵と共に自ら行け。

私が思うに、敵はランヌ元帥をイエナで攻撃するか、そっと逃げるかであろう。

もし敵がランヌ元帥を攻撃するならば、ドルンブルクに居る貴官はランヌを援護できる。

もし新たに何も起きなければ、貴官は今夜私の所に来ること。

 

<ベルナドットの混乱>

1)ベルナドットはPM6:00にはドルンブルクに向かうつもりでいた。その旨をナポレオンの参謀長

ベルティエ元帥に手紙で知らせている(*1)。

2)ダブー元帥が来て、彼に対する命令を見せてくれた。その内容を見たベルナドットは、自分にも翌日に

命令が来ると思い、ドルンブルク行きを中止して待つ事にした。(ベルナドットに直接の命令が来なかった為)

その旨をナポレオンの参謀長ベルティエ元帥にPM8:00の手紙で知らせている(*2)。

3)PM10:00にナポレオンが書いた命令がダブー元帥に届き、内容をダブー元帥から見せられたのは

翌日のAM4:00であった(*3)(この時もベルナドットに直接の命令が来なかった為)。

そこには、ベルナドット軍団がドルンブルクに向かっていると書いてあった。そこで、直ちにドルンブルクへ

向かい行軍を再開した。

(*1)下記の”祖国は危機にあり”さんの下記WEBページにベルナドットが13日PM6:00に書いた手紙の内容がある。

 ・1806年10月14日 ドルンブルク

(*2)上記”祖国は危機にあり”さんのWEBページにベルナドットが13日PM8:00に書いた手紙の内容がある。

(*3)上記”祖国は危機にあり”さんのWEBページ最後にベルナドットが21日に書いた手紙の内容があり、

 そこに命令を見たのがAM4:00と記載してある。

 

なお、ダブー軍団もナポレオンの命令に沿ってアポルダに向かって出発した。

この時点で、ベルナドットもダブーもプロシア軍主力がアウエルシュタット方面に後退している事は知らなかった。

下図はMilitary History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP63の抜粋である(10月13~14日)。

<個人的な感想>

 ミュラは無責任である。命令通りに行動した場合、後日ベルナドットが浴びる不当な非難は

ミュラが受ける筈であった。それを最後の文章のみに注目して、指揮下の予備騎兵軍団を

置き去りにしてナポレオンの司令部に向かったのは理解できない。

”もし新たに何も起きなければ”の意味は、ドルンブルクに騎兵部隊・ベルナドット軍団と共に到着した時に、

何も起きなければ(プロシア軍は逃げた)ナポレオンの所に来いという事であると思う。

ナポレオンは13日夜にはミュラの騎兵部隊とベルナドット軍団がドルンブルクに到着できると思っていたようである。

ベルナドットの混乱に対する個人的な疑問と解答は次回に記載する。

 

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